2008年10月21日火曜日

電車かもしれない

たま - 電車かもしれない


この歌のでっかい謎は「生まれつき体のない子供たち」なんだよな。
そこでみんな水子説とか社会の中で実感のない若者という位置づけに
している。
ニコ動のタグとかコメなんかそうと決めてかかっている。

しかし、僕はさいしょ、これは「水」をうたった歌ではないかと思った。

水道管という線路に乗って家までたどり着き、蛇口から水滴の電車と
なって出る。
そしてちりぢりばらならになった水滴はいなくなり、蒸発して空へ飛ぶ。

しかしそれでは説明がつかない。
もいちど考え直した。

こいつは、「電気」の歌ではないか。
もっと言うと、電気の子と書いて電子(でんこ)。

「ここに今 ぼくがいないこと 誰も知らなくて
そっと教えてあげたくて 君を待っている」

これすなわち、沖縄電力だと白い紙の「悲しいお知らせ」ではないか。
黄色い紙の予告に引き続いてやってくる、処刑決行の悲しいお知らせ。
ああ、君、いないんだね。

おうちに帰ってきて愕然とするさま。
ああ、なんて電気のありがたみがよーわかるか。

「ほら もう そろそろだよ 物理の成績の悪い子供たちが
空中を 歩き回る時刻」

物理法則を無視したキャラたちがどたばたを繰り広げる世界が
電波に乗ってやってくる。
あーもうアニメの時間か。

「夕方がったん 電車が走るよ 夕間暮れの空を 
ぼくらは生まれつき 身体のない子供たち」

ああ、なんでもかんでも電気で動いているのだなあ。
実体見えないのに存在感がすごくでかく感じるよ、今日は。

「ほら さびしい広場では まるで算数を知らない子供たちが
砂を耳からこぼしているよ」

あーあれも電気で動いてら。
いったいボリュームいくつで聴いてんだあの少年は。
数も数えられんのか。
遠くからでもシャリシャリきこえてるってばよ。耳こわすぞ。

ああ・・・ああ・・・。
ぽつぽつとよそのうちは台所に灯がともる。
夕食の準備か。

夕間暮れの空を背景に走る電線は家まで通っていても
電気はうちによりみちしてくれないのだ。

なんて悲しいことよ。

夜が、闇がやってくる。

***

追記

書いたあとに気づいた。
映像の中、電気だらけじゃないかこれ。
気付かなかった俺頭悪そう。

そういえば最近あまり見なくなったけど、電線に電車そっくりの
カバーがかかってたりしていたっけ。
それをモチーフにしたのかも。

同じように感じていた人はきっといっぱいいたはず。
電線にそって空を走る電車。

自閉症スペクトラムの窓
http://ameblo.jp/lad-lad/entry-11480081750.html

ちいさな鞄 ー 次男2歳3ヵ月
http://dropofrain.exblog.jp/15430899/

別にこれって決め付けるわけではないけど、こっちのほうがどこか
夢があるのに、水子とか言い出すようになってしまうオトナってやあね。

(追記)
関係ないけど。
妄想・信念を抱えている人に論理だてて話すのは無駄というか
逆効果であると精神医学の教科書の1ページ目に書かれているので
なんやかんや論争するのはやめたほうがいいと思うよ。