2014年11月14日金曜日

いろんなデジカメ画質比較

「携帯で十分」と言われて久しいカメラ。
手持ちのものでいろいろ比較してみる。

モデルは朝から庭でおくつろぎ中のネコくん(ノラ)。
日の出から余りたってないのでまだ少し暗い状況。
コンデジの撮影はフルオート。
ミラーレスは絞り優先(ISOオート)。
一眼も絞り優先、ただしKDNにISO自動設定がないので手動指定。

以上をAV230にあわせるため3倍ズームくらいで撮影したのを
Picasaでトリミングの上R13で1200x900にLanczos4で縮小、bmp化⇒
pictcutterで品質90でJPEG出力。

・富士フイルム FinePix AV230(2010年CCD)
弟が持ってた軽くてスカスカのコンデジ。
兄の強権を発動して召し上げた一台。
かわりに買って間もないオリンパスのSZ-16を押し付けてやった。
意にそぐわずカメラを取られた弟はきっと涙を流したに違いない。

元のモデルはAV200で、そのマイナーチェンジ版と思われるも
いかんせん情報がなさ過ぎて不明。多分2010年頃の爆安モデル。
ワイド側で32mmというある種驚異的なスペックを誇る。


まずネコくん逃げた(一番最後に撮った)。
それはともかく色がまったく出ていない。
この、テキメンに色をぶっとばしてくれる電子式手ぶれ補正が
OFFになるであろう、晴れた日の屋外では比較的まとも。
が、それ以外はかなり絶望的なのでおすすめしない。
日差し差し込む明るい午後の屋内でさえ、フラッシュなしで
使うという発想は絶対にやめたほうがいい。

ただしこいつはよい点もあり、ISO1600でのザラつき方が
いい感じに出て白黒で撮るとおもしろい画になる。
また、適度に寄ったW端32mmがスナップにこれまたよい。
すでに半ば壊れたので中古で1000円くらいならぜひ欲しいが、
中古でほぼまったく出回らない不思議なモデル。
たぶん中古に売りに出される前にみんな壊れてるのだろう。

・パナソニック LUMIX DMC-FX90(2011年CCD)
ハイスピードCCDを搭載。
コンデジの主流がCMOSに移行する前夜の2011年モデル。
この時点で熟成しきってるというか、頭打ち感あふれる中での
最後っ屁。

ISO400 1/13s

オリンパスに比べて状況判断がおりこうで、手振れ補正も
考慮しているのか手持ちISO400で撮影できた。
手動でISO800指定してもさほど画質に差が無かった。
同じLUMIXシリーズでの従来型CCDモデル(DMC-TZ3)では
ISOを上げるとノイジーになるか、あるいは暗部のノイズを
隠すためかどぎついコントラストになり発色がバカに
なっていたが、そういうなりが収まっている。

総合的には従来に比べて2段程度は余裕ある画がつくれるように
なったように見える。

ちなみに一部LUMIXシリーズに搭載されている「超解像」機能。
ズームではなく等倍で使用する代物であるが、これは恐らく
上記の電子式手振れ補正に考えが近く、複数枚の画をもとに
境界をくっきりさせる仕組みと推測するが、フジと同様
色が死んでしまうのでONにすることはおすすめしない。

上の画を見る限りでは露出オーバー目もいいとこ。
もう少し暗くていいからSS上げてくれなかったものかな。

・オリンパス SH-50(2013年裏面照射CMOS)
3軸手振れ補正&TruepicVI搭載。
2014年モデルのSH-60も基本設計は同一なので2014年時点の
1万円台コンデジ性能と見てOK。
前述の兄弟機SZ-16と基本性能は大差なく、使用感としても
静止画撮影で言えばマニュアルモードの有無程度しかその差を
認識していない。
SZ-16の「高速CMOS」とSH-50の「裏面照射CMOS」に明確な
差はまったくと言っていいほど、ない。

ISO1000 1/60s

ノイズを隠す処理は強力でISOを上げても大きな破綻はない。
しかしそのせいで油絵のような画になってしまう。
少しでも拡大しようものなら、ガラケーのカメラ機能にあった
”油絵風エフェクト”をかけた後のような絵面がコンニチワ。
また、自動ISO調整はかなり安牌目に寄っており、ほっとくと
すぐISO4ケタで撮ってしまうのでメリット台無し。
ISOオート時のISO値上限を設定できれば最高なのに、ない。
そのくせデフォルトではEVけっこう明るめに寄せてたり。
甚だ残念。
個人的には青っぽく出る画づくりはちょっと合わない。
一方キヤノンはRAWほんのり赤めに出るも、そっちのほうがより好み。

そう、今気づいた。今頃気づいた。
俺オリンパスの画、好きじゃないわ。3台購入した後でなんだけど。


・オリンパス PEN Lite E-PL1(2010年 M4/3)
「カメラは写真を撮る道具ではなくただのアクセサリ」
というコンセプトで世の女子らに訴求し、結果ミラーレス
人気に火をつけたPENシリーズ初期モデル。
そのおかげで中古の玉数が多く安価に手に入る。
ありがたや女子消費と中古カメラ店とヤフオク。

でもってTruepicV搭載。
このおばかちんエンジンはやっぱりISO4ケタ番長なので
画質を崩すのがとっても得意。
また、オートフォーカスがかなり頭悪く、FW1.1適用状態でも
あさっての方向にピントを合わせようとするため辟易。
基本中央一点AFが無難。

RAW⇒そのままJPG ISO1600 1/60s F5.6

もっとも。
せっかくのミラーレスなので、撮る側もちゃんといじって
撮影に臨んでるだろうから大きな弊害はないと思うけど。
ただそんな感じなのに、手動でISOひとつ変えるのに
2~3ステップ踏まないといけないのは非常に不満。
いじらせたいのかそうでないのか。

あるいはスタバのコーヒーかマカロンかなにかを撮って
iFinishで大胆なエフェクトをかけて元の画をぶっとばすなり
するんで、画質には案外そんなに大きな重要性がなかったり
するので結局どうでもよかったりするのだろう。

なお、キヤノンのキットレンズと異なり、レンズのタル型歪曲が
比較的大きく出るのでPicasaで手軽にいじるというよりは
面倒くさくてもOLYMPUS Viewerを使うほうがよさげ。
RAWにこだわるほどの画質でも無いので、いっそレンズ補正済みで
出力されるJPEG形式&出力フラット設定がずっと楽かも。
朝夕ISO高めに撮るとカラーノイズのドットがちらほら出るので
そういったシチュエーションならRAWがいいけども。
でもやっぱりそれもJPEG出力で事足りるのでどうもいまひとつ
RAWで残すメリットを感じられない。
いや、一応RAWにしとくけども、なんだかなあ。


・キヤノン EOS Kiss Digital N(2005年CMOS)
中古のレンズキットを7500円で購入。
ロックバンドKISSの格好をした子供らが「かわいく撮ってよ」と
歌ってねだるCMで世のママさんらにバカ売れしたモデル。
カメラはお父さん、からお母さんへ移行させた火付け役。
そのおかげでこいつも中古の玉数が半端ない。

手振れ補正レンズではないので朝夕は気合を入れて
使用しなくちゃいけないけど、慣れるとまあ大丈夫。

RAW⇒そのままJPG ISO800 1/40s F5.6

ISO200 1/8secでも撮れたけどハンデが大きすぎるので
焦点距離=シャッタースピード云々にのっとって
ISO800で撮れたもので比較。
さすがAPS-Cだけのことはあって、10年落ちかつ
ISO800でも比較的安定した画づくり。

このボディはデジタルレンズオプティマイザ非対応なので
レンズの歪みをデジタル補正処理することができない。
が、キットレンズEF-S 18-55 II USMは歪みが比較的自然で
無視してもいいレベル。
また、ボディのポテンシャルを鑑みると、手振れ補正つき
レンズを追加で買うくらいなら朝夕お気軽撮影用に中古のPENを
買ってきたほうがよほどハッピーになれそう。
てか実際ハッピー。


・(番外1) IS15SH(AQUOS PHONE)
2012年夏モデル。
撮った後自動でシャープ処理するのか、ノイズが目立つ。


・(番外2) URBANO PROGRESSO
同じく2012年夏モデル。
こっちはソフトだけど色の出方が自然で見た目がよい。



【まとめ】
「写真はスマホで十分」というのは決して間違いじゃない。
スマホで撮って、スマホで見るだけの人にとっては。
カメラを買う必要がないんだもんねえ。

そういう人らは一眼レンズキット並みの価格でお買い求めになった
スマホの価値に疑問を持ちつつもそれをごまかしたいがために
トランキライザーがわりにそんな言葉を吐いているだけなので、
ハイハイそうですカメラやレンズ買ってる私が金銭感覚ないんです
などと言ってあげるのが本当のやさしさってもん。

もっとも、Xperiaなんかはコンデジそのものだったりするので
2014年現在ではもう、諸手を挙げて賛成するほかない。

2014年11月12日水曜日

レリゴーと15の夜とマイルドヤンキー



見方が変われば世界が変わる。
自分はなんて不自由なんだろうかと思っていたが
いざルールやしがらみを破ればなんて自由なんだろうか。

盗んだバイクで走り出す
行き先も解らぬまま

というシチュエーションとまったく同じなのが

レリゴー
レリゴー

でして、劇中のエルサはまさしく同じ路線。
要するにレリゴーは

ヤンキーソング

であり、これが流行った時点で

日本総マイルドヤンキー

とかいうのはあながち単なるステレオタイプで
無いことを証明してしまってた。
ちなみに15の夜は当初

俺って自由だ♪
爆走最高♪
風になるのカッコイイぜフンフフン♪

という内容でつまらないものだったため、書き直させたと
須藤晃さんは言う。
でもって出来上がった歌は没後21世紀まで残ってる。
そのミソは

「自由になれた気がした 15の夜」

というキメの歌詞。
この一言がなければこの歌は死んでる。

「自由になれた」

のではなく

自由になれた「気がした」

ココ大事だけど、実はあんまりちゃんと気づいてもらってない。
自由だ!自由だぞ!とさんざ歌っていて、耳に残るのは
もちろん「盗んだバイクで走り出す」ところ。

その一番最後にさらっと一言だけ

「気がした」

という否定を差し込んでいるのだけど、注意をそらすマジックのよう、
この歌の哀愁のもととなるこの部分がことさらクローズアップ
されずにおかれているから切ないけどどこが切ないか
ちょっとよく見ないと気づけない。

同様にエルサだってありのままとか自由とかそんなもん
この人生にありもするものか不安だったことだろう。
だってそんな生活、トラブル抱えてお城に缶詰のお姫様にゃ
まったくなかったんだもんよ。

だから、その不安をかき消すように力強く歌う。
不安がこみ上げてくるほど力がこもる。

だもんですから、この歌は爽快自己肯定ソングどころか
そこにある情景は哀愁である。憂いである。情念である。
自己不安である。
coldがbotherしないとかいう強がりである。

ありのままと声高に叫ぶほど、寂しさが募るのである。
本来気持ちよくスクリーン見ながら合唱とかいう代物では
決してないはずだ。この情念はもはや演歌。
八代亜紀や坂本冬美は合唱するんじゃなく、背中丸めて
サンダル履いてひとりおでんをつつきながらコップ酒を
ちびちびするほうがよほど絵になるのである。

変化形で言えばglobeのDEPARTURESも、雪の中で女の側が
切々と情念を歌い上げるあたりジャンルはともかくその
スピリットは演歌だ。日本人はこいつにめっぽう弱い。
だから大ヒットした。小室哲哉の思惑通りである。
着物着てたらもう、「期待の新人・山田桂子」で十分いけてた。

いや大丈夫。
TKはJD-800をMasaoKogaモデルの大正琴に持ち替えて
一緒にステージに立てるので食いぱっぐれない。
問題は酒井さんの立ち位置が綾小路きみまろあたりに
食われそうであることだけだ。



話戻ってレリゴーも15の夜も、自由とか、ありのままとかいう
100%自己肯定を歌っただけの歌と思ってらっしゃる方も
少なくないと思うけども、別にその人たちはその人たちでまあ、
そのままでいんじゃないですかね。
暗い雪山の中で一人だけの冷たい氷の城をエルサは心の底から
楽しんで造ってるのでしょう。

どうぞありのままで、いやがれ



【余談】

ただひとつフォローを入れるなら、この元凶は訳詞のまずさが
もたらしたもんであるけど、最低限きちんと

「自由になれた気がした」

に相当する

「少しも寒くないわ」

という強がりは元の歌詞どおりなので、まったくなりが
変わってしまってるわけではないが。
とりあえず、

わたし輝く

とか

自分信じて

とか

自分大好き

みたいな軟弱J-POPな言葉は元の歌詞にないはずである。
完全な意訳にしてあさっての方向に誘導する気満々。

ディズニーが敢えてOKしたのなら、そういう商売なんだろう。
それでおまんま食ってる以上、いい悪いを言うつもりはないが。

もし仮に翻訳した人が本当に心からエルサはこのように
考えたんだと思ってこの歌詞にしたのだとしたら、それは
エルサの気持ちに寄り添ったものではなくただ単純に
その翻訳家自身のペラいおセンチな感情を当てはめただけの
ことになってしまうが。


【さらに余談】

その点で言えば、「魔法にかけられて」はディズニーの中でも異色。
もはやドリームワークスではないかと思えるほどの、過去のディズニー
自身への皮肉がたんまり。
それがいいか悪いかということは別にして、そういう作品らであったし
時代や人がそれを求めてたということのあらわれでもあるけど。

じゃあそこで「お決まりの規定路線」から方向転換したんですかねってーと、
このアナ雪レリゴーブームを煽ってるあたり、そうでも無いように見える。

でも。
この物語自体は

・自己よりも他者、立場上地域社会全体を優先させなくてはならない
⇒集団への帰属意識(アイデンティティ)

と同時に

・自分は自分である
⇒自己同一性(アイデンティティ)

が葛藤し、これを高次元に統合するという、ある種思春期のいきさつを
1時間なんぼの尺にまとめてみました的なもんであるけど、
このストーリーは若干足りてない。

有り余る雪の力、氷の力というのは自己愛の象徴であり、いわば欲求。
これをコントロールするのが他者愛であり、言い換えると抑制、統制。

しかしそもそも力が暴走したきっかけは、妹のために、妹を喜ばせる
ために行ったことであって、これは他者愛のはずだ。
その事故が発生する前までは問題なくコントロールできていたはずだ。

しかし不意に事故が起き、以降どういうわけか暴走する。
ここがまずきっかけとして弱い。

で、レリゴーレリゴーしたあと紆余曲折を経て
どういうわけか家族愛・姉妹愛によって力の統制を得る。
そのきっかけらしいきっかけというのはない。

だってもともとこの姉妹に思いやりや愛情が欠けていたとは思えない。
物語を素直に追いかけていくのであれば

他者への思いやりと同時に力の統制を失い、それにより妹を傷つける。
統制を失ったきっかけは不明。

どういうわけか思いやりが復活し、力の統制を得る。

という流れにしか見えない。
言いたいことはわかる。こんなつもりじゃないのもわかる。
しかし、弱い。
元の童話では明確なきっかけとそれを仕掛けた人物がいるのに
このお話ではそれがいないものですから、きっかけが存在しない。
ここに大きな不整合があり、解消し切れてない。

そもそもこのお話には男の子が姉になり、さらに姉=女王になり、
さらにさらに女王が当初設定から変更され邪悪でなくなっている。
もう二転三転。まとまりがない。そのしわ寄せが出てる。
オラフ出してる場合じゃない。
しかしそこは最後まで何のフォローもなく終了。

さらに、

「愛」って言うのは別に男女の愛とかじゃなくて
家族愛とかみんなへの愛情とかそういうもんもあるのよね

というメッセージを込めたかったのだろうけど、なんだろう。
なんか無理感がある。
というかこの謎脚本自体がもう収拾つかなくて無茶苦茶。

ただ、

「愛」って言うのは別に男女の愛とかじゃなくて
家族愛とかみんなへの愛情とかそういうもんもあるのよね

というメッセージは従来の路線からの脱却という点で言えば
引き継いでいると見てもいいかも。
まあそれを台無しにしてるのだが、レリゴーブームが。

2014年11月3日月曜日

撮影素子の大きさとプリント時の画質

■とりあえず
これだけ見ればなにを言いたいのかわかるはず。

・撮影素子の大きさ比較(3:2撮影時)

※注
APS-C以外は4:3なので、
3:2撮影時はたてがカットされるため本来よりすこし小さい

・プリントサイズ(紙の大きさ)比較


いやいやコンデジでも2Lくらいは、フォーサーズでもA3は
余裕でイケるっしょという方はこちら。


・もうこうなったらフルサイズまで見てみようじゃないの

センササイズ


プリントサイズ



■要するに
L判・2Lでしかプリントしないよという人にはセンササイズの大きな
一眼だとかミラーレスだとかいうのは要った話じゃないということは
まあわかってもらえるはず。

ちなみにAPS-Cに比べると1/2.3サイズはおよそ1/10の大きさ。
単純比較はできないけど、センササイズ面積ベースでコンデジが主流一眼レフと
画質で張り合う場合はそのカメラ発売当時のセンサと同等と仮定した上で
その画素数と比較して計算。

例)Nikon P100(2010年)の場合
当時発売されていたニコンのAPS-C普及帯一眼は2009年モデルのD3000。
これも同じく1000万画素なので、1/10(たてよこ1/3ちょいサイズ)の
100万画素程度まで縮小してどっこいどっこい見れた画質という計算になる。
なのでフルHDサイズには届かない。
ただし後述のL判プリントくらいではまあOKな画質ではある。

※実際には物理的な画素配列を工夫するとか画像処理でチューニングを
行うだろうからもうちょっとゲタ履かせてもいいだろうけど。

(余談)
同様の考え方でセンサーサイズが絶対的な画質を握るものという考え方で
コンデジの超望遠の立ち位置をみてみる。

上記の通り、1/2.3センサーの大きさはAPS-C比で約1/10であり、
ルートすると3倍ちょい。(逆算して話を戻しただけだけど)
なのでたとえばAPS-C用250mm望遠(35mmで400mm相当)のレンズでセンサー上に
映し出された像と同じだけの大きさをコンデジで撮るならば、35mm相当で
1200mmまで引っ張ってはじめて張り合えることになる。

大きさで張り合ったとしてもさすがにトリミングかましたんじゃ
画素数では敵わない。
どっこいコンデジの画素数なんてスペック競争のおかげでアホみたいな数字に
なってはいるけれども画質からして実際はせいぜい800万画素くらいで頭打ち。

むしろドットピッチ細分化で色乗りが悪くなるという坂道を転がりながら
処理エンジンで油絵みたいな画をつくりつづけるデフレスパイラルから
抜け出さないメーカー。
そのおかげで撮れる静止画は油絵で、動画はダイナミックレンジの低さから来る
どぎついコントラストのもの。

また、コンデジじゃ一眼のレンズと張り合えるだけのコストでつくれないし、
むしろ20なんぼ~1000mmオーバー域をコンパクトな設計でまんべんなく
カバーするなんてそもそも荷が重すぎる話で光学的にもディスアドバンテージ。

そういうわけでコンデジ1200mm用意したとして
・光学的にも
・工学的にも
ハンデが課されている以上、そこで画素数だけ勝ってたとしても
結局大きく優位に立つってことはできない。


■じゃあこのEOS KDNはA3ワイドいけますかね?
という問いが発生するけど、それはNO。
ここではじめて解像度が問題となる。

一般的に300dpiで出力されるので、これをもとにそれぞれ必要な
ピクセルベースでの画像サイズをここで確認してみる。
※比較しやすいようにおおよその値に丸めた

L判:たて1050ピクセル(だいたい150万画素)
2L:たて1500ピクセル(だいたい300万画素)
A4:たて2500ピクセル(だいたい900万画素)
A3W:たて3600ピクセル(だいたい1900万画素)

(A3を越えると200~150dpi程度での出力になるので、必要な画素数は
 以降うなぎのぼり、というほどにはならない。A3レベルでも
 200dpiに出力を下げるお店もあるくらい。)

とまあ、800万画素程度だとA4にギリ満たないも
なんとかそんくらいで出力する分にはいけるでしょうというライン。
しかしお世辞にもA3サイズレベルには満たない。

特にコンデジあたりで無駄に解像度ばかりが増えてしまった現在
10Mピクセルは当たり前にあるので特に気にする必要はないけれど
一応こっちも気に留めておいたほうがいいはず。

ちなみに現在主流のフルHDモニタのたてサイズは1080ピクセル。
これにドットバイドットで映し出すには1920x1080の200万画素強
ありゃそれで十分。
そろそろ普及帯に入るか入らないかの4Kモニタでやっと
800万画素映し出すことになるも、さっき述べたとおり1000万画素は
当たり前なのでピクセル数ベースでの画像サイズは
特に気にするところはやはりない。


■じゃあミラーレスってなんなの。一眼レフってなんなの。
画質で論じるから終わらない。
人それぞれ、プリントするなりモニタで眺めるなりWeb素材に
使うなりニーズが異なるもんだから仕方ない。
論点がまとまってないから終わらない。場合分けができてない。
なので画質ではなく表現という点で言えばとりあえず

ボケ

ってやつがあるとみんなうれしがるらしいのでそれが
実現できる点が魅力でしょうね。まずは。


■だもんですから
鳥や飛行機を撮るわけでもないならファインダ不要。
額縁に飾る写真を撮るわけでないなら大きなセンサ不要。
いろいろいじってみたいよというならはじめて、
ミラーレスあたりをまずはお買い求めになっていただくと
いいんじゃないでしょうかね。