歌詞はこちら
MAHO堂 おジャ魔女カーニバル!! 歌詞 - 歌ネット
https://www.uta-net.com/song/14341/
この歌には不思議な魅力があるようでネット上にはいろんな記事がある。
共通して書いてあるのはサビがマイナー調になる点で
みんなこいつにガツンとやられている。
しかしなぜ作曲者のかりあげぐらしハウスマヌカンが
わざわざマイナー調にしたのかという具体的な意図について
言及が見当たらない。
なので仮説を立てた。
この歌は、哀歌(エレジー)である。
構成を分ける。
起 突拍子もないチカラがあったらどうする?
承 どんな夢をかなえたい?
転 でも、そんなのはできないと君は言う
結 変わらない現実。終わらない現実。
まあこんな感じ。
序盤で明るく問いかける。
文字通り夢みたいな話をする。
でも現実はシビアである。絶対に変わらないのである。
まわりの大人には怒られるし、自分の頭は出来が悪いし
嫌いな試験は否応なくやってくる。歯医者も注射も痛いまま。
なにも叶いやしない。
現実はシビアである。絶対に変わらないのである。
目の前を生き切ることはただただつらく悲しいものでしかない。
だからこそ、力強く歌うのである。
声の限り、歌うのである。
悲しみをあらん限りの大声でかき消すのである。
親に虐待される子どももいる。
親のいない子どももいる。
生まれた時から四肢が不自由だったり口からまともに物を食べられなかったり
年中ベッドで針が刺さったままの子どもだっている。
戦地に生まれた子どもだっている。
どうあがいても現実はシビアである。苦痛と絶望が待ち構えている。
そしてそれは絶対に変わらない。
ここから逃げ出したい、でなきゃせめてこの状況を変えられたなら。
いいや、そんなどうにかできるような不思議なチカラなんてけっしてない。
ありもしないってわかってる、でもまだ心のどこかで
消え入りそうな信じたい気持ちはまだちょびっと残っている。
だからこそ、力強く歌うのである。
声の限り、歌うのである。
悲しみをあらん限りの大声でかき消すのである。
そこにあるのは涙だ、憂いだ、哀しみだ。
つくり笑顔の目からあふれた現実を一生懸命吹き飛ばそうとする姿だ。
逆境のなかでも喜怒哀楽を生き切る姿だ。
だから聞き手の中にカタルシスは生まれる。だからこの曲はひきつける。
この歌は全世界の現実を生き切る子供たちのためにある哀歌であり応援歌だ。
その意図を作曲者は汲み取り、サビを短調に仕立て上げた。
我々はいけたけしの魔法にかかっているのである。
という仮説。
---
せっかくなので池毅つながり。