Cocco - 樹海の糸
歌詞はこちら。
「いいね、外へ行ってはいけないよ」
「いっしょにここから逃げましょう。永遠の愛を誓いましょう」
ふたつの誓いが主人公には課せられていた。
草の茎でひっぱりあって遊ぶよう、この相反する誓いは
ついにどちらかが切れる運命にある。
***
義母の大事にしてくれる気持ちはよくわかる。
美しさもきれいな歌声も与えられた。
すべてはわたしのため、将来の幸せのためであることはわかっている。
ただ、退屈なわたしの気持ちを汲んでいないだけで。
王子様はわたしを連れ出してくれた。
しかし、義母はその途端わたしに施してくれたものをすべて
とりあげてしまった。
そこに残ったのは醜い、何の取り柄も無いわたし。
あなたはそれでもわたしを愛し続けるでしょうか。
わたしもまた、この現実をとうてい受け入れることが
できるでしょうか。
「美しい王子様と美しいお姫様は手を取りあって
いつまでもしあわせのうちにくらしましたとさ」
という、終わりと永遠の始まりではないのです。
美しい王子様と醜いお姫様のお話として物語は続くのです。
さあ、この醜いわたしを抱いてみてください。
この物語はここで終わりにしましょう。
こんなわたしでも愛せるなら、あなたはわたしを手放すことはない。
でもそんなはずはないでしょう。
きれいなお姫様はきれいな王子様といっしょになるのが夢なように、
王子様もまた、きれいなお姫様といっしょになるのが夢でしょう?
わたしには、あなたの気持ちがよくわかります。
わたしもまた同じ人間ですから。
さあ、この醜いわたしを抱いてみてください。
この現実はここで夢物語として終わりにしましょう。
悲しい恋物語としておしまいにしましょう。まだきれいなままに。
二度と逢うことのない永遠をはじめましょう。
「悪い魔女」がわたしを変えてしまったとしてもいい、
愛したわたしこそがあなたを騙しおおせた「悪い魔女」としてもいい。
夢の終わりを好きな色になさって。
これであなたの気が晴れるなら、あなたの傷が癒えるなら。
わたしとの記憶をすべて殺して。
運命の赤い糸をほどきましょう。
はじめからふたりにつながっていなかった、何かの間違いで
森の中で交差しただけのお互いの運命の糸を。
***
王子様はいない。
義母のもとへ戻ることもない。
わたしはひとり、王子様に愛された記憶を抱いて生きてゆく。
そう決意した。
・・・。
ああ。
あたたかなベッドが、きれいなシーツが恋しい。
そしてなにより、あたたかいスープが恋しい。
森は暗く、寒く、恐ろしい場所だった。
わたしの決意なんて、そんなものだった。
わたしは義母に赦しを乞うた。
義母はわたしを赦してくれた。
あたたかい部屋、あたたかい食事、あたたかい母親。
そして美しい声もふたたび与えられた。
もしあなたがふたたびこの声を森の中で聴いたなら
気の迷いなんて起こさないで。失ったことを後悔しないで。
あなたを「騙した」わたしを許さないで。
わたしを捨てたあのときのあなたを許さないで。
わたしの声はまやかし。あなたの叫び声でかき消して。
わたしの顔はまやかし。目を閉じ醜い顔を思い出して。
何も聞かないで。何も見ないで。二度と。
許したら、また繰り返すから。
わたしはあなたを求めない。
許されも報われもしない恋だったのだから。
わたしはあなたに会わない。
それでも許してしまうかもしれないから。
許したら、夢物語から醒めて、また悲劇を繰り返すから。
こんな結末を招いた本当の自分の姿も憎い。
その姿を認め、手を離したあなたも憎い。
けれども、愛された日々はほんとうにとても幸せだった。
わたしは記憶を紡ぎ、愛しさも憎しみもすべて織り上げ、
永遠にあなたとの夢物語を歌うの。
***
「樹海の糸」は、ペルシネットを歌っているという仮説。
アルバムのタイトルで言うならば「ラプンツェル」。
この義母はそりゃあ手厚く娘に施していた。
また、
この王子様でない、またどこかのすばらしい男との赤い糸を
用意してくれていた。
そのために悪い虫がつかぬようにしておいていた。
ちゃんとした理由があった。
なので、義母からしたらこの王子様はただの横恋慕でしかない。
また、本来運命として用意されていたペルシネットの結末からしても
このB級王子様は
「なんの別のおとぎ話に影響されたかわからんけど
なんか救出しに来た気分でいる勘違い野郎」
でしかない。
実際、ペルシネットはのちに"本来の"のハッピーエンドを迎えている。
ひらたく言えば、交差してはいけない糸が勝手に絡まってきただけ。
こっちでは鬼女が正論という評価だし、こっちでも
なんかこの王子変態みたいな扱いになっている。
ふざけてるわけじゃなくてまあ、「ふつーそう思うよな」って感じでもある。
現実社会ならば、手塩にかけて育てた娘がだ、晴れて進学校に入学したかと思ったら
卒業する前からどこの馬の骨ともつかん男の子供を授かるようなもんで、そりゃ親は
憤慨もするし情けなくもなることでしょう。
(幸せの定義やかたちを親が決めるということについての、誤った押し付けとも
正しい手引きともとれる見方の違いはおいといて。)
さてこの二人。
なんというか、別におとぎ話の世界でなくても男女ってこんなもん。
「こんな人だと思わなかった!」
てのがこの日本のどこかで、世界のどこかで今この瞬間も誰かが口にしている。
くっついては離れて、を繰り返すカップルなんてのはどうも重症で
いっしょにいると相手が見えちゃうからどんどんイヤになって
離れるとまた相手が「理想像」に思えてきてなんか許しちゃう。
許しちゃうから繰り返す。
許せないから「ひとつの終わった恋」でクローズする。
どっちが"美しくない"かってーと、もちろん前者。
たとえる言葉がおかしいけど、思い出は美化してくれる。
また繰り返しさえしなければ、どんどん美しくなっていく。死ぬまで。
ところが許して失望しての繰り返しはいつまでも美しくならない。
ほかにもっといい人いるのにそっちの縁も切れちゃう。
昔の男は、どんなに思っていても、諦め切れなくても、
さっさと振り切って思い出にするほうが幸せになれそう。
「失恋したら髪を切る」ってのはなんだか言い得て妙。
もう二度と塔を登ってこれないもんね。
■その他つらつら
・糸が絡まりながらただれゆくように
糸と糸の触れた部分がこすれて繊維がほつれゆくさま。
張りつめていない糸同士では絡み合うことはあっても
ただれることはない。
なので、このふたつの糸はどちらも張りつめている。
ヴァイオリンの弓と弦が擦れあい、次第にほつれ、時に絡み、
最後には弓はぼろぼろ、弦はぷっつり。
ふたつとも張り詰めているということは、それぞれの糸が
別のどこかまでぴん、と張っている。
糸電話のよう、ふたり同じ糸なら近づけば近づくほどその糸は
垂れてしまうし、クロスすることはない。
そのくらいの距離なら、紙コップ使うより寄り添ってお話しした方がよい。
一方で離れてしまえばしまうほど糸は張ってゆく。
離れすぎて糸が切れることもあるけれど、それは別の話。
「何も聞こえない、伝わらない」
「何も聞きたくない、話したくない」
まるで糸の切れた糸電話のよう。
・永遠を願うなら。
整理して考えてみる。
if 永遠を願うなら
then 抱きしめて and 離せばいい
if わたしさえいなければ
then その夢を守れる
このふたつは共に同じ「望む結果を得る」ための行為を教唆している。
前者は
~することが叶うためには ~しなさい
後者は
~したら ~することが叶います
と、表現が逆になっている。
これを踏まえて考えると、
・永遠を願う
・夢を守ることを願う
このふたつは同じだ。
あるいはまったく同じでなくとも、目指すベクトルは同じ方向だ。
しかしなんのこっちゃというか、このままでは言葉に整合がとれてない。
なので永遠のほうをあわせてみると
・永遠(に、~すること)を願う※
・夢を守ることを願う
※いうなれば
エタニティそのものというあいまいなものを願うのでなく、
ある状態・行為のエバーラスティングを願うということ。
とまあ、なんとなくだけどわかる形になった。
ここへそばへ置いていた要素をもってくる。
if わたしさえいなければ
then ある状態が永遠に続く、という願いが叶う(≒夢が守れる)
よし、これでだいたい完成。
じゃあこの永遠、夢ってなにさという話になる。
話を最初の最初に戻すと、そもそもこれはおとぎ話だ。
夢見たハッピーエンドの出来レース。
最終目的地はいつだって「王子とお姫様の永遠の愛」。
しかしここではその「夢のハッピーエンド」を諦めている二人がいる。
ハッピーエンドの反意語はなんですかってーと、バッドエンド?
そうとも言うけどちょっと違う。
ドラえもんしかり、トム&ジェリーしかり、
「さあ、どうしてくれようか?」
「(・・・ゴクリ)」
- END -
と、終わるどころかこれから始まるエンディング。
始まりがおしまいにあるという永遠。
おしまいが描かれることがないという永遠。
幸せでない状況が終わらないことこそが、恐ろしい。
不幸のはじまりがそこにあると、なお恐ろしい。
ならば、幸せでない状況をここで終わらせ、
「別の永遠」に救いを求めるほか無い。
そのためには二人取り合った手をほどき、
「愛し合った事実は永遠に残るよね」という、まだ救いどころのある
エンディングを選択するしかない。この状況では。
そして二度と二人、「不幸にも」出逢うことがない永遠。
・わたしを奏でる
歌詞を英訳したページのあちこちで「私は楽器」とある。
さてこれはどうなんだろう。
桑田佳祐ならロンリープレイなピアノだけど、これもそうなのかしら。
さあ。
いろんな気持ちを織り上げてなにをする。
曲をつくらないだろうか。
詞を書かないだろうか。
2番のサビでは同じ部分のフレーズでは女の側からこう歌っている。
「溢れ出る憎しみを織り上げ あなたを愛し歌うの」
これと対になるならば
「溢れ出る憎しみを織り上げ わたしを奏でればいい」
これは「わたし」を歌った歌を奏でるということにならないか。
「ショパンを奏でます」
といったとき、ショパンという楽器がないように。
「悲しい調べを奏でます」
といったとき、悲しい調べという楽器がないように。
「ゆうこを奏でます」
といったとき、その名が「ただの曲名でしかない」わけでないように。
そしてなにより、もう2人離れてんだから、距離的に楽器弾くって
レベルじゃないでしょう。
「家に置き忘れてきたリコーダーを吹く」くらい無理。
本家がそう言ってるのかしら。
仮にこれをインストゥルメントとするならば
さきに書いたとおり、二人遠く離れていても、むしろ離れている
からこそ互いの糸が張り詰めてクロスしたままだとしたら
その糸らが奏でるのかもしれない。
時にどちらかが弓となり、もう一方が弦となり。
・つまりどゆこっちゃ
「好きだからさよならしましょう」とかいうことではなく、
どうして人は人を好きになるのか、どうして醒めるのか、
そもそも人って異性(時に同性)の何を、どこを見た上で
くっつきたがるのかというところを描いたんじゃないかしら。
人間というのは、もとい、恋愛というのは本当に文字通り
「その人をありのまま受け入れる」ということは、決してない。
ということが言える。
なぜならば、恋愛は、他者愛ではないからだ。
・ますますなんのこっちゃ
小室哲哉に言わせれば
見返りを求めるのが恋
見返りを求めないのが愛
らしいけど(本当に彼が言ったかどうかは知らない)、
情愛のエキスパート、寂聴さんに言わせりゃ
恋も愛も、「慈悲」じゃねーのはみいんな執着する愛だってーの
という具合なので、
自分の寂しさを埋めるために他人をこの自分が好きになる
という動かしがたい主語がここにあるもんですから、
「誰のため?」「そりゃ自分のため」
ということを認めざるを得ない。
ギブアンドテイクじゃねえ、要はギブアンドギブだってーの
というステージまで上がってこない限り、それはどこまでも
自己愛の為す業でしかない。
(おまけ)
アウトロのハミング、ハインリッヒという王子様的な名を
言ってるように聞こえるのは僕だけでしょうかそうですか。
***
この曲で主人公は森の中でひとり歩むことを諦めた。
ではもし。
本当に森の中でひとり生きてゆくこととなったらどうなっていたか。
髪はボサボサ。
爪は伸び放題。
草から動物まで捕らえては食む。
まるで山月記でけものとなってしまった者のよう。
理性なんて保つだけ無駄。生きて行けない。
そんな変わり果てた彼女にもう一度、この森の中で二人再会したら
そこに流れるのは透明な涙か、はたまた赤い血か。
愛欲と食欲、どちらが勝るのか。
彼女はそのとき、どちらをより欲すのか。
そこに赦しはあるか。
平穏かつ幸せな人生というエンディング、
純愛を通したまま狂人となるエンディング。
Coccoの描いたラプンツェル。「完結編」はどちらか。
同名のアルバム1曲目に描かれたのはどちらの情景か。
≪サブテキスト≫
中島みゆき「誘惑」
http://www.kasi-time.com/item-18394.html
>ガラスの靴を女は 隠して持っています
>紙飛行機を男は 隠して持っています
テーマとしてはほぼ同じ。
この歌は男女の側がわかりやすく対になっている。
なので
>黙りあって 黙りあって
>さみしかった さみしかった
と、一見強調するくりかえし表現のような部分もまた同様に
男女それぞれの心情・様子をあらわしているものですから
男「・・・(さみしかったのに)」
女「・・・(さみしかったのに)」
と、お互いに口に出せず黙りこくるさまをあらわしている。
そして最後に
「夢のつづき」
という名の現実、しかし夢であった過去を抱える状態下の現実を
はじめることになる。
その現実は紛れも無く、その夢の配下にある。
夢とひとくくりに言っても、覚めてはじめて気づく一夜の「夢」
のようなものでもあり、それでもなお叶うはずと持ち続ける
理想をさす「夢」のようなものでもあり。
夜見る夢に覚めてみる夢、いずれも日本語でも英語でも
同じ言葉をあてはめるあたり本質的にはどちらも実はあまりに
非現実的で大した差異なんて無いものなのかもしれない。
朝目覚めてすぐ、ないししばらくすると忘れてしまうも
実は毎晩夢見ているように、実はその非現実を人間は
無意識に日々頭の中にひっそり抱え込んで生きているのかも
しれない。
2010年6月30日水曜日
2010年6月20日日曜日
強く儚い者たち
Cocco - 強く儚い者たち
歌詞はこちら。
愛する人を守るために、
大切なものを築くために海へ出た男たち。
待ち構えていたのは嵐。
嵐と戦うのならまだしも、あろうことか体勢もままならぬ嵐の中で
敵と戦わざるを得ないほどひどい有様だった。
そして。
命からがら、生き延びることができてたどりついた海の果て。
朝陽がきれいな、さえぎるものがなにもない東(あがり)を望む港町。
みんな聞いたことがある島、宝島。
そこはすばらしい場所だと聞いていた。
でもどこにあるか誰も知らない。
だから普通の人はたどりつけない。
しかし男たちはそこへたどり着いた。
中には住み着く人もいるらしい。
ひとつの場所に落ち着いてられない者は
また新しい場所を求めて船を出す。
さて。
そんな特別な場所。
普通の人たちは決してたどりつけない海の果て。
何も失わずに来れたとでも思う?
思い出してみなさい。
人は弱いものよ。
とても弱いものよ。
***
「私がいなくてはこの先どうなるか心配なのです。戻らなくては」
まだそんなこと言ってるの?
まだ気づいてないのね。それとも、認めたくないのかしら。
人って弱いものね。
祈る声はあなたに届いていないのかしら。
あなたを祈る声は届いてないのかしら。
ここはどんな地図にもない場所よ。
人が決してたどりつけない海の果て。
あなたは何も失わずにここへ来れたとでも思う?
思い出してみなさい。
そうよ
あなたは何も失わずにここへ来れたはずないわよね。
さあ、あなたがいなくたって生きていけることを認めなさい。
「あなたがいなくちゃ生きてゆけない」なんて、
その場だけの言葉でしかなかったことを受け入れなさい。
人は強いものよ。
とても強いものよ。
そして
人の命なんて儚いものよ。
消えた人の存在もまたおなじ。
***
「強く儚い者たち」は、戦争によって仲を引き裂かれた
人間らを歌っているという仮説。
強いて言えば、この島国の端っこから飛び立ち、
飛魚のすむ海を越えて、自らが「突風」となって散った男たち。
国と家族を守るために、
平和を築くという名分のために海へ出て
還らなかった男たち。
彼らは鉄の暴風の中で戦った。
砲弾の嵐の中へ、あまたの風が切り込んでいった。
しかし、
尋常でない大嵐は、そんなちいさな風たちを造作無く飲み込んだ。
人はあまりに弱い。
兵器の前ではまるで虫けら同然。
そして戦争のうねりの中では、人ひとりの存在もまた
あまりに小さい。
その最期、彼らは何も思い残さず死ねただろうか。
死してなお、易く自身の死を受け入れることができただろうか。
ぼろぼろになった羽根を抱えた男たちはその島でやっと
癒されることになる。
一方で残された女たちはたくましかった。
愛する者の死を乗り越え、気丈に生きた。
おかげで上の世代になると、家督や仏壇を継ぐ上で
必要あってきょうだいで違う苗字を名乗る異父兄弟らも
ちらほらいる。
生々しい話をすれば、戦死した夫の遺族給付を受け続けるため、
再婚しても新しい旦那の籍に入らなかったがために異父兄弟で
苗字が違うというケースもままあったりする。
苗字の数だけトートーメーがあるため、きょうだいで苗字が
異なるということはきょうだいで面倒を見なくちゃいけない
トートーメーが複数あるということになる。
これがまた戦死した親の兄弟も戦争かなにかで結婚する前に死んでいて
彼には子供がいないとなるとそのおじさんまで面倒みなくちゃいけない。
さらにそのおじさんが種違い腹違いだったりしたらあっち側の親戚に
法事行事のお知らせとか相談とか連絡付けたいけど連絡つきにくいし
あっちの親戚連中なんか疎遠だしでも付き合いだしetcetc...
誰が好き好んで面倒見るんだそんな面倒なもん!
というわけで沖縄の墓・門中問題はそう簡単ではなかったりするわけで、
これがまた少子化や内地の大学に行ったまま就職してそのまま
帰ってこないなどなど(これを”長男盆に帰らず”という)
仏壇や墓を継ぐにあたって諸問題が山積なことから、沖縄における
先祖供養・先祖崇拝の前途は決して明るくない。
かつてはウガンブスクーと警鐘を鳴らして歩いて回っていたユタも
科学の進歩に伴い信用は年々低下する一方妙な癒やし・スピリチュアル
ブームのおかげか沖縄人が別なものに救いを求めはじめる一方で
内地からはユタ目当ての観光客が押し寄せた結果、ユタの相手における
ヤマトゥーの比率が無視できないくらい増加したこのご時世。
まあそんなの全部すっとばして、戦後60年オーバーの現代ニッポン、
現代オキナワを戦争で死んでいった魂らは寂しくも思うかもしれない
けど、人って案外強く生きてゆけるってのはそれはそれで救いでもある。
話変わって。
さてこの歌い手。
この視点は「神」だ。
海の果てにいる、人々を癒してくれる存在。
部屋に招いてくれて、甘いお菓子もごちそうしてくれて
あわよくば抱いてくれるってーんだからそりゃわくわくしますわね。
抱くってあれですか!?だっこじゃなくて
あんなこととかしちゃう「抱く」ですかーっ!?(横島風に)
その素敵な神様、ちょっとお顔を拝見してみたい。
というわけで調べてみる。
まずその、海の果てにある島ってどこやねんなってーと、
それは「ニライカナイ」にほかならない。
東の果てにあるんだもんで、もう先になにもないことから
朝陽もよくみえることでしょう。
「天国」というのは垂直方向(要するに上。お空。)の果てにある
あの世思想であるのに対し、ニライカナイは水平方向(地や海を往く)の
先にあるあの世(グソー)思想。
「海の向こうの神の島」の概念は抱腹絶倒しながらこっちで学ぶが早い。
でもってニライカナイに住む神様。それは
ミルク神。
あらららら。
なんかおちちっぽい感じで想像力をかきたててくれますね。
なんてたって
ミルク!
みるく!
み・る・く!
ヒャッホーウ!
さあ見せてくれユアフェイス!
お・・・おおう。
なぜだ。どうしてこうなった。
ともあれ、ミルク神の伝承におもしろいお話ありんす。
沖縄民話「ミルク神とサーカ神【竹富町西表島】」~日刊OkiMag
http://okinawan.jp/minwa/minwa013.htm
***
以下妄想余談
■曲のコンセプト
この曲はJALのハワイキャンペーンCMソングだったそうで。
企画段階で
・平和ボケボケリゾート旅客機
・(はるか東にある)ハワイ
・楽園
で曲つくってくださいねと言われて
ハイ、
・特攻隊の戦闘機
・(はるか東にある)あの世の島
・極楽浄土
でつくりました!
って具合だったんならこのCoccoという人は突拍子も
無いこと考えるというか山下達郎やオメガトライブらの
築いたリゾートミュージックを一気に瓦解させるというか
君はテンパーセントというか。
■その他つらつら
・「ね」
愛する人を守るため 大切なもの築くため 海へ出たのね
嵐の中で戦って 突風の中生きのびて ここへ来たのね
これは歌い手の側が知っていること、というよりは
「男の語ったこと」を
なるほどなるほどそういうことだったのね。はいはい。
と繰り返しているに過ぎない。
本当に
生き延びて
いるかどうかなんて、まったく保証されていない。
穿った見方をすれば、本当に
平和だとかお国だとかのために喜び勇んで海へ出た
かどうかも怪しい。
誰かに吹き込まれたセリフをくりかえしているに過ぎないわけじゃない
ってことさえ
まったく保証されていない。
それはまるで
※個人の感想です
くらいの信用性しかない。
いくさ世(ゆ)という時代の中で、人の意思なんてどこまでが
ほんとうにその人のものかさえ、ぜんぜんわからない。
だから
※その時代に生きた人々の感覚・価値観です
とさえ言っていい。
なおこの「ね」は曲者で、やはり別の箇所で対になる使われ方がなされており
ここと違うニュアンスで後にふたたびお目にかかることになる。
ついでにちょっと掘り下げてこの部分のメロディを見て見ると
どれみみみみー あいするひとをー
みれれどしー まもるためー
みみみみみみみみ たいせつなものき
ふぁみれどー づくためー
(嬰ハ短調なのでドレファソが半音上)
と、やたら八分刻みで単調。
もはやボー読みである。言葉に気持ちがないのである。
もしこれが本当に心の底からの戦争大好き!っていう言葉で、聞き手の心を
揺さぶっていたのであれば「戦士よ、立ち上がれ!」くらい
アツい曲になっていそうなもんでしょうが、まあ、そうにはなってない。
じゃあ同じメロディが繰り返されるはずの2番ではどうなって
いるんでしょうねと見てみると、ちょっと様相が違う。
どれみみみみー あいするひとのー
みれーどしー みらー(ぃ)などー
みーみみみみみみ とーいめのままい
ふぁみれどー わないでー
と、緩急がついて棒読みでなくなっている。
また、この部分はこの曲の中で唯一語りかける相手に禁止を求めている。
「兄さんそこちがうよ」という部分には後述の「だけど」で反する事実を
淡々と語るか、あるいは「いられるとおもう?」と質問形式にして
はて本当にそうなのかなと一旦考えさせるようにして軌道修正を促す、
いわば
「選択肢や可能性を与えるけど強制はしない」
やり方であるのに対し、そこだけは
「言わないで」
と、明確にやめろやと遮っている。
温厚なキャラがめずらしく1コマだけ笑顔のまま怒りマークつけてるような情景。
・飛魚のアーチ、そして宝島
飛魚が見られるロケーションとして有名なのが鹿児島から奄美へ
向かう途中の海。
その海を過ぎると見えてくるのがトカラ列島。
トカラにはそのものずばり、宝島という島が存在する。
ひょっとしたらこのあたりをモチーフにして詞の世界を膨らませたのでは。
・「嵐と戦う」のではない。「嵐の"中で"戦う」
嵐"と"戦う、と思っている人もちらほらいらっしゃるようだけど、
嵐と戦うのなら、戦う相手は嵐だ、大自然の猛威。
どっこい嵐の"中で"とあるのだから、なにかしらまた別の存在と戦っている。
ところで。
ここでは「嵐」と「突風」という、似た意味の言葉が存在する。
これらがともに立ちふさがる存在、同じものを指す言葉として
使われているならば、無駄なくりかえしになってしまう。
「嵐の中で戦って、嵐の中生き延びて」
これは変だ。この読み方では後者の言葉が死んでしまう。
ということは、これらの言葉は対になっているはずで
これらを「立ちふさがるもの」「挑んでいくもの」の二者に
対立させるとこの矛盾は解消する。
では本来はどんな言葉だったかというと、
「嵐の中で戦う」
「突風の中から生き延びる」
ということになるんじゃないかしら。
このことから、死を覚悟して嵐に切り込んでいき、その先にある敵を
討ちにいく突風という構図ができあがり、さらに、この突風というのは
単独でなく複数の突風たち(集合体)であることが浮き出てくる。
・嵐 : 強大で襲いかかる手を止めない存在、鉄壁のディフェンス
・突風: いわばその場限りの、単発的なオフェンス(の群れ)
このあまりにもの力量の差。
・癒すのは「疲れた羽根」
港町にたどり着いたからといって、船でやってきたとは限らない。
羽根を休ませるのだから、はばたき続けたのでしょうきっと。
どうにかしてお空を飛んだのでしょう。
長い間下りられる場所もなくただひたすら飛び続け、果てにやっと
"空へと通ずる港"を見つけたのかもしれない。
(ここで少しJALをからめてるみたいな)
ひょっとしたら。
自ら飛べるようになったのでしょう、人という存在なのに。
だとすれば、空だけでなく海で戦った男たちも
その島へたどり着いたと考えていいかもしれない。近いし。
・「宝島」にたどり着いた男
スケベェなみんなが大好きな、そこしか聞いてもらえてない
フレーズ「お姫様がパッコン」な状態になるなら、別にこの男は
宝島にたどり着かなくたっていい。
新島でも伊江島でもかまわない。いっそ前島や西洲でもいい。
たどり着いた先が「宝島」である必要があるから、
詞の中にそう書いたのではないか。
当たり前の世界とは違う場所である必要があったのではないか。
そもそも、「宝島」って普通喜び勇んで、わざわざ目指してやってくる
場所であるのに、どうもこの男はそういうフシがない。
遠い目をして愛する人のことを語っている。
そんなに心配だったら「住み着く」ことなく帰ればいいのに、
何らかの理由あってか帰ることができない様子。
事実、ここに住み着く人"も"いる程度で、言葉を素直に受け止めれば
多くの来訪者は住み着かないということが伺える。
でもこの男は住み着くことを決意している様子もなければ
帰ることもしていない。
また、この島から新たな場所へと去ることもしていない。
現状、羽根を癒すことくらいしかできない。
また、来ようと思って来たわけじゃなかったということになれば、
嵐に巻き込まれるなどして大変な思いをしてやってきたという経緯は
自分の意思でなく、抗えない強大な存在に翻弄された結果でしか
ないことになる。
つまり、この男にとってこの「宝島」というのはついた時点で
通常想像される楽しい場所でも、魅力ある宝のある場所でもない。
・「愛する人の未来」であって「愛する人"との"未来」ではない
愛する人を案じているのであって、愛する人のそばに自分がいる
未来を語っているわけではない。
愛する人がこの先幸せでいられるか、"この自分なしで"
生きてゆけるかを案じている。
気持ちの問題、お金の問題、生活環境・社会状況の問題、いろいろ
ひっくるめて「ここにいない、残される形となった愛する人」が
この先どうなっちゃうのかを案じている。
真っ赤なバラと白いパンジーが植わってる小さな家で
自分の横に愛する人がレース編んでるような未来なんかじゃ、決してない。
・「固い誓い交わしたのね そんなの知ってるわ」
取るに足らない、織り込み済みの事象。
これが推測でない確信、もはや知識・記憶だとしたら
この歌い手はいったい何者であるか。
「カンのいい女」とかいうレベルじゃ決してない。
男と愛する人の出会いから抗えない別れまで、
教えてもいないことまでひととおり語り上げたところで
「だけどあなたは、信じて島を出たのね」
と女が区切りをつける。
ここでそういうわけなんだよ「ね」と、聞いてばかりだった態度を
同じ「ね」というたった一文字で翻す。
ひと通り男のことを語り終えたら今度は誰のことを話すか。
そりゃもう決まってる。
遠い場所にいいる、男のパートナーの今をお伝えすることになる。
・だけど、そうよ、きっと。
1番と2番におけるサビ入り部分のフレーズは「だけど」。
男の考えを否定している。
戦場から生きて帰り、さらにはこの戦にもこの国は勝つという強い信念は
そう簡単に潰えるものでない、まだ何も失ってやいないと男は思っているし、
お姫様は他の誰にも抱かれまいと男は考えている。
「だけど」、それは誤りであると女は言う。
人は強いと男は思っている。
だけど、弱いものよと女は言う。
かの愛する人は弱く、守ってやらねばと男は思っている。
だけど、強いものよと女は言う。
そしてひとつめのリフレインで「だけど」は「そうよ」に変わる。
男の考えを肯定している。
続く言葉が同じであるのに、否定から肯定に変化している。
これはつまり、男の側の考えに変化があったことが伺える。
「そうよ、そうそう」の、「そうよ」。
人はこうも弱いものか、何かを、いや、何もかもを失うこととは
こんなに容易いことなのか男は悟り始める。
そうよと女は言う。
最後のリフレインでは「だけど」が「きっと」になっている。
「そんなの知ってるわ」と言いのけたのに比べてあいまいなものに
変化している。
もしかしたら、腰なんたらは「方便」で、案外ほんとにみんな
楽しく踊って暮らしてる時代を生きているのかもしれない。
ともあれこの、続く言葉をキープしたままサビ前の三文字だけを変化させるだけで
心情変化を表現し、ストーリーの流れをつくるあたりこのCoccoという人はよほど
キレッキレなように見える。
だからしてフラーフージーしてるのはむしろフラーフーナーであっていわゆる広義の
「キャラ付け」に過ぎず、腰振り云々というのもわざとミスリードしてエロ解釈する
聴衆を見てどっかでほくそ笑んでいるのではないかとさえ個人的には勘ぐっている次第。
もし仮にこの詞を書いたのが「Cocco」でないなら、歌詞カードの表示通り「こっこ」を名乗る
まったく別の他人と思うし、いいえ本人ですキャラ付けもありませんという話なら
乖離したパーソナリティかなにかくらいの勢いでないとこいつは到底無理と考える。
しまいにゃ乖離なんかもしてませんよとなればもうあれだ、アルジャーノンだ。
あとは石丸元章の言うところのシャブの神様によるものしか可能性はない。
・宝島が見えるころ、宝島についた頃。
とりあえずこの男・この島が「この世」のものでないことははっきりした。
この世でないから一方通行。もう後戻りはできぬ。
住み着くか先へ進むしかない。
さてではいつごろこの宝島が見えたか、いつごろ宝島についたか。
たとえば仏さんの世界では四十九日をもって成仏するとある。
宗派によって微妙に異なるだろうけど、四十九日間いわゆる「霊」という
かたちでこの世にとどまり、その後あの世で「仏」となるという流れは
たぶんみんなおなじ。
こまかいとこすっ飛ばすとこう。
・肉体を失い霊になる。
空だって飛べる。飛魚のアーチなんてすいすい。
あてもなく飛ぶわけじゃなく、目指す先が見えている。
つまり、死の時点が「宝島が見えるころ」。
言い換えると、宝島に近づいてゆき、その近くまできたから
宝島の存在が見えるようになったのではなく、生きている人間には
決して見ることができない存在が見えるようになったころ。
その島目指して飛んでいく。
・四十九日の旅を終え、仏と成る。
目指していた場所(「宝島」)にたどりつく。ゴール。
さて。
ゴールにつきましたよと。
そこで終わりですかってーと、そうでない。
人間、輪廻というのがある。
次の人生(後生)という旅へまた出なくちゃいけない。
そうするってーと、この、とことん慰めてくれる神様は
この人生(今生)で思い残したことを取り払う手伝いをし、
後生への準備を促してくれる存在であることになる。
そういうわけで。
神様の視点から人間ら(男と女)を見つめているわけだから
「強く儚い者たち」
と、人間という存在を悪意の無い上から目線で見た上で
どこか達観した物言いで表現している。
なので、Coccoという一介の人間から見た人の営みについて
「人間は所詮こんなもんなんだ」と断じたり評価したりしている
わけではない。
しかしそもそも神様はすべてをありのまま包容する存在である以上、
評価やカテゴライズをすることはない。よって言葉にすることもない。
まとめると、このタイトルと歌詞は
神の視点を借りたCoccoという人間が、人間の言葉で人間を表した
ものと読み解くことができる。
また、この視点を通してもう一度人間世界を俯瞰すると
肉体そして個々の存在そのものが「弱く」「儚い」一方で、
「強い」力をもって他の人間を押しつぶさんとする、争いという
人間の業もまた人間の弱さのあらわれであり、儚げである。
神の前では旗の色も肌の色も瞳の色もみな、何の意味も違いも
ないというのに。
皮肉な見方をするならば、戦争で逝った御霊のことを忘れ去ることは
振り向かない強さであるも、悲惨な出来事があったという事実もまた
同様に人々の記憶から消し去ろうとする力も働く。
なぜ戦争に至ったか、戦争がなにをもたらしたか、人の命が、存在が
束になってなんぼという価値であったということを忘れるとまた繰り返す。
人というのは儚いものだから。
・【儚い】
ってのはこんな意味があるんですって。
儚いとは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/儚い
①消えてなくなりやすい。もろくて長続きしない。
②不確かであてにならない。実現の可能性が乏しい。
③何のかいもない。無益だ。
④大したものでない。取り立てるほどのものでない。
⑤思慮・分別が十分でない。愚かだ。
⑥みすぼらしい。卑しい。
・人は弱い。人は強い。人は儚い。
「愛は儚い」とは言ってない。一言も言ってない。
愛が儚いならこの歌のタイトルは「強く儚い愛たち」であるべきだろうよ。
だのに
「愛は儚いんですね!この歌せつないです!><;」
とかいう解釈たくさん。なんじゃそら。
弱いのも強いのも儚いのもみんな人。
その人の存在の儚さと、その人への愛の儚さ(?)は
同じ次元で語れるものではないはず。
・・・であるからに、
男女の仲がどうとか浮気とか裏切りとかNTRがコモエスタで
遠距離恋愛がどうたらいう解釈はどこか短絡的で、言葉の取りこぼしが
起きてやしまいかと思ってしまう。
概念の中に、冒頭にある「命の危険」がまったくないんだもん。
また、強い弱い言っているのは人の気持ちだの愛だのではなく
人という存在そのものについて表現しているものだから、
スケベ心からお姫様のくだりに注目しすぎると物語世界を
見失ってしまう。
(追記)
ナニナニの物語をなぞっているみたいな解釈もいろいろあるけど
強いて挙げるなら坂口安吾の堕落論じゃないかしらねこれ。
検索してみると同じ解釈の方もいるようで。
強く儚い者たち: 普通サラリーマンの散財日記
http://www.3zai-businessperson.com/article/437302488.html
(追記ここまで)
つまり。
愛別離(苦)は気持ちや距離だけの別れを指すんじゃないし、
仏さんの本だけでなく「塩狩峠」にだって登場しているフレーズ、
「生者必滅、会者定離」にあるとおり、どうしても避けられない
死による別離もあるんじゃないのさという考え。
はてさて、身体の透けた男たちの出てくるPVの意味するところは。
(以下ただの妄想)
・神の視点とCocco
あるがままを受け入れる際、そこにあるのは「無」だ。
カテゴライズも評価もない。
Coccoはイメージの中で神の視点を得た。
しかし神の認識は得られなかった。
だからCoccoという人間は、人間の認識を以て感じ取った。
人間について人間の言葉を以て表現した。
そのため、受け入れる対象について「無」でなく
「強く儚い者たち」という、極端な言い方をすれば
レッテル貼りをすることとなった。
人が身勝手を通す
人が人を騙す
人が人を殺す
人が生き物を殺す
・・・
などなど、
「当たり前が当たり前でない世の中」
"such a wonderful world"
であることに苦しみ、それを吐き出す作業を続ける。
それはもう、本人がゲロのようと呼ぶほどに。
音楽のジャンルはともかく、このスピリットはロックンロールだ。
だからそれが共感を集める。でもそれは根本的な救いにはならない。
善いおこないも悪いおこないもこの世では「報われ」ないからだ。
宗教ならここで「だからこそ祈れや」っていう流れなんだろうけど、
そんなもんで解決するわけねーだろというのが一般的な日本人。
個人的には祈りはアリだと思うんだけど、日本人てどこかしら
オールオアナッシングの気質があるもんだから「祈りありき」に
なったり、果ては
それって「神頼み」じゃねえか
と、そこまで言ってねえのになんで怒られなきゃいけないんだい
てな感じになる。
じゃあそれってなんだねってーと
できることは自分がやって、できない部分について祈る
という、オールオアナッシングでない、本来の意味での他力本願、
人間でも偶然でも神様でも仏様でもなんでもいいから、とにかく自分の
限界を超える部分について第三者のユイマールを求めるという考え。
そういうわけでウチナーンチュは
ウートートー
と手を合わせる。
なぜならみんながいて世界がまわるから。
先祖がいて自分がいる。島の自然が人間をはぐくんできた。
そしてこれからも自分たちは島の恩寵のもとにあり、それにより
自分たちの子孫がこの地に生き続けることができる。
そんな母なる島を造ったのは神だ。だからすべてが尊い。
そういうわけだから、これら天・地・人の調和を無視した
人間だけが世界回してるなどというくそったれな価値観
をCoccoは全否定している。
自然(≒沖縄)の気持ちを汲んでいる。
目に見えるものを超越した存在があることはわかってる。
しかし彼女はのこるカミサマについては中指立ててらっしゃる。
いうなれば、黒線香(ひらうこう)の3本セット(天・地・人)のうち、
ひとつがかけている。三位一体が成立していない。
吉田拓郎式に言えば
そ~らに~まかしたんよ~
ということができずにいる。
この世で救われてないから。この世では誰も救われないから。
神様なんていいひとを殺す一方で悪いやつに罰を下すこともないから。
信じるに値しないから。
いつか、この世界が変わる/変わらない・変えられる/変えられない・
救われる/救われないなどなど認識諸共すっ飛ばして
「思い通りにならない世の中、自分さえ思い通りにならないこの現実」
"what a wonderful world"
であることをどこまでもどこまでも受け容れ、その中で
あまりに非力な自分に何ができるか、どこまでならできるか
というところまでゆければいいのだけど、それは諦めという、
この世界を拒絶する感覚と似て非なるものだからなかなか難しい。
人間みんなにとって。
だけども、この世界のあるがままを受け入れられないまま
自分の小ささ、無力さを知った上で
あまりに非力な自分に何ができるか、いったい何になるのか
ということを考えるから苦しみしか無い。救いがない。
マザー・テレサがさらりと言ってのける「愛は寛容である」
というのは、別に人だのなんだのに限ったことでなく
そのでっかくもないくそったれな愛(=慈悲)でもって
この世の中全部愛して(=受容・許容)みせろやボケ
というのが最終目的地。
ま、つらつら書いたもののすべて仮説俺メモである以上、
絶対これが正しいって言う気はないもんですから
どうでもいい人も入れ込んじゃってる人もどっちでもない人も
「だけど」しか耳に入ってなかったお嬢ちゃんもみんな各々が
お好きなように納得出来ればい~の~にね~えー
よくよく聴くと大野克夫だけあってコナンぽいね。
***
2017/04/13追記
夜勤明けの帰り道、カーラジオをつけたらNHKラジオ「すっぴん」に出てた。
デビュー20周年記念での出演の様子。(途中からしか聞いてない)
ウチナー訛りを全面に出して終始和やかな雰囲気でトークが進み
最後、今後30周年に向けて精進されることでしょうねみたいな場面で
「ハイ、粛々と進めてマイリマス」
ここでトーク終了。
その瞬間スーッと背筋が凍る思いをしたがtwitterでは誰も話題にしない。
おい、自称ファンらどうした、ここは恐ろしい場面だ。
全国放送の最後、彼女はすべてを壊して帰っていった。
気づけ。俺はファンと呼べるほどじゃない。お前らこそが気づけ。
でもおそらく当の本人は気づかれないことも承知済みだ。
むしろそれをどこか哀しむように楽しんでいるかもしれない。
皮肉と受け止められない人には皮肉が通じないという皮肉。
捨て台詞のように吐いたその最後の言葉に、
やはりこの人とんでもないと改めて感じた。
胸のうちにあるのは怒りなのか悲しみなのかそれともいったんそれらも
包容しているのかいないのか、そこまではいまだわからない。
別にそこまで知ろうとは思わない。ファンじゃないから。
歌詞はこちら。
愛する人を守るために、
大切なものを築くために海へ出た男たち。
待ち構えていたのは嵐。
嵐と戦うのならまだしも、あろうことか体勢もままならぬ嵐の中で
敵と戦わざるを得ないほどひどい有様だった。
そして。
命からがら、生き延びることができてたどりついた海の果て。
朝陽がきれいな、さえぎるものがなにもない東(あがり)を望む港町。
みんな聞いたことがある島、宝島。
そこはすばらしい場所だと聞いていた。
でもどこにあるか誰も知らない。
だから普通の人はたどりつけない。
しかし男たちはそこへたどり着いた。
中には住み着く人もいるらしい。
ひとつの場所に落ち着いてられない者は
また新しい場所を求めて船を出す。
さて。
そんな特別な場所。
普通の人たちは決してたどりつけない海の果て。
何も失わずに来れたとでも思う?
思い出してみなさい。
人は弱いものよ。
とても弱いものよ。
***
「私がいなくてはこの先どうなるか心配なのです。戻らなくては」
まだそんなこと言ってるの?
まだ気づいてないのね。それとも、認めたくないのかしら。
人って弱いものね。
祈る声はあなたに届いていないのかしら。
あなたを祈る声は届いてないのかしら。
ここはどんな地図にもない場所よ。
人が決してたどりつけない海の果て。
あなたは何も失わずにここへ来れたとでも思う?
思い出してみなさい。
そうよ
あなたは何も失わずにここへ来れたはずないわよね。
さあ、あなたがいなくたって生きていけることを認めなさい。
「あなたがいなくちゃ生きてゆけない」なんて、
その場だけの言葉でしかなかったことを受け入れなさい。
人は強いものよ。
とても強いものよ。
そして
人の命なんて儚いものよ。
消えた人の存在もまたおなじ。
***
「強く儚い者たち」は、戦争によって仲を引き裂かれた
人間らを歌っているという仮説。
強いて言えば、この島国の端っこから飛び立ち、
飛魚のすむ海を越えて、自らが「突風」となって散った男たち。
国と家族を守るために、
平和を築くという名分のために海へ出て
還らなかった男たち。
彼らは鉄の暴風の中で戦った。
砲弾の嵐の中へ、あまたの風が切り込んでいった。
しかし、
尋常でない大嵐は、そんなちいさな風たちを造作無く飲み込んだ。
人はあまりに弱い。
兵器の前ではまるで虫けら同然。
そして戦争のうねりの中では、人ひとりの存在もまた
あまりに小さい。
その最期、彼らは何も思い残さず死ねただろうか。
死してなお、易く自身の死を受け入れることができただろうか。
ぼろぼろになった羽根を抱えた男たちはその島でやっと
癒されることになる。
一方で残された女たちはたくましかった。
愛する者の死を乗り越え、気丈に生きた。
おかげで上の世代になると、家督や仏壇を継ぐ上で
必要あってきょうだいで違う苗字を名乗る異父兄弟らも
ちらほらいる。
生々しい話をすれば、戦死した夫の遺族給付を受け続けるため、
再婚しても新しい旦那の籍に入らなかったがために異父兄弟で
苗字が違うというケースもままあったりする。
苗字の数だけトートーメーがあるため、きょうだいで苗字が
異なるということはきょうだいで面倒を見なくちゃいけない
トートーメーが複数あるということになる。
これがまた戦死した親の兄弟も戦争かなにかで結婚する前に死んでいて
彼には子供がいないとなるとそのおじさんまで面倒みなくちゃいけない。
さらにそのおじさんが種違い腹違いだったりしたらあっち側の親戚に
法事行事のお知らせとか相談とか連絡付けたいけど連絡つきにくいし
あっちの親戚連中なんか疎遠だしでも付き合いだしetcetc...
誰が好き好んで面倒見るんだそんな面倒なもん!
というわけで沖縄の墓・門中問題はそう簡単ではなかったりするわけで、
これがまた少子化や内地の大学に行ったまま就職してそのまま
帰ってこないなどなど(これを”長男盆に帰らず”という)
仏壇や墓を継ぐにあたって諸問題が山積なことから、沖縄における
先祖供養・先祖崇拝の前途は決して明るくない。
かつてはウガンブスクーと警鐘を鳴らして歩いて回っていたユタも
科学の進歩に伴い信用は年々低下する一方妙な癒やし・スピリチュアル
ブームのおかげか沖縄人が別なものに救いを求めはじめる一方で
内地からはユタ目当ての観光客が押し寄せた結果、ユタの相手における
ヤマトゥーの比率が無視できないくらい増加したこのご時世。
まあそんなの全部すっとばして、戦後60年オーバーの現代ニッポン、
現代オキナワを戦争で死んでいった魂らは寂しくも思うかもしれない
けど、人って案外強く生きてゆけるってのはそれはそれで救いでもある。
話変わって。
さてこの歌い手。
この視点は「神」だ。
海の果てにいる、人々を癒してくれる存在。
部屋に招いてくれて、甘いお菓子もごちそうしてくれて
あわよくば抱いてくれるってーんだからそりゃわくわくしますわね。
抱くってあれですか!?だっこじゃなくて
あんなこととかしちゃう「抱く」ですかーっ!?(横島風に)
その素敵な神様、ちょっとお顔を拝見してみたい。
というわけで調べてみる。
まずその、海の果てにある島ってどこやねんなってーと、
それは「ニライカナイ」にほかならない。
東の果てにあるんだもんで、もう先になにもないことから
朝陽もよくみえることでしょう。
「天国」というのは垂直方向(要するに上。お空。)の果てにある
あの世思想であるのに対し、ニライカナイは水平方向(地や海を往く)の
先にあるあの世(グソー)思想。
「海の向こうの神の島」の概念は抱腹絶倒しながらこっちで学ぶが早い。
でもってニライカナイに住む神様。それは
ミルク神。
あらららら。
なんかおちちっぽい感じで想像力をかきたててくれますね。
なんてたって
ミルク!
みるく!
み・る・く!
ヒャッホーウ!
さあ見せてくれユアフェイス!
(photo by Mitsuru Ogino from wikipedia)
お・・・おおう。
なぜだ。どうしてこうなった。
ともあれ、ミルク神の伝承におもしろいお話ありんす。
沖縄民話「ミルク神とサーカ神【竹富町西表島】」~日刊OkiMag
http://okinawan.jp/minwa/minwa013.htm
***
以下妄想余談
■曲のコンセプト
この曲はJALのハワイキャンペーンCMソングだったそうで。
企画段階で
・平和ボケボケリゾート旅客機
・(はるか東にある)ハワイ
・楽園
で曲つくってくださいねと言われて
ハイ、
・特攻隊の戦闘機
・(はるか東にある)あの世の島
・極楽浄土
でつくりました!
って具合だったんならこのCoccoという人は突拍子も
無いこと考えるというか山下達郎やオメガトライブらの
築いたリゾートミュージックを一気に瓦解させるというか
君はテンパーセントというか。
■その他つらつら
・「ね」
愛する人を守るため 大切なもの築くため 海へ出たのね
嵐の中で戦って 突風の中生きのびて ここへ来たのね
これは歌い手の側が知っていること、というよりは
「男の語ったこと」を
なるほどなるほどそういうことだったのね。はいはい。
と繰り返しているに過ぎない。
本当に
生き延びて
いるかどうかなんて、まったく保証されていない。
穿った見方をすれば、本当に
平和だとかお国だとかのために喜び勇んで海へ出た
かどうかも怪しい。
誰かに吹き込まれたセリフをくりかえしているに過ぎないわけじゃない
ってことさえ
まったく保証されていない。
それはまるで
※個人の感想です
くらいの信用性しかない。
いくさ世(ゆ)という時代の中で、人の意思なんてどこまでが
ほんとうにその人のものかさえ、ぜんぜんわからない。
だから
※その時代に生きた人々の感覚・価値観です
とさえ言っていい。
なおこの「ね」は曲者で、やはり別の箇所で対になる使われ方がなされており
ここと違うニュアンスで後にふたたびお目にかかることになる。
ついでにちょっと掘り下げてこの部分のメロディを見て見ると
どれみみみみー あいするひとをー
みれれどしー まもるためー
みみみみみみみみ たいせつなものき
ふぁみれどー づくためー
(嬰ハ短調なのでドレファソが半音上)
と、やたら八分刻みで単調。
もはやボー読みである。言葉に気持ちがないのである。
もしこれが本当に心の底からの戦争大好き!っていう言葉で、聞き手の心を
揺さぶっていたのであれば「戦士よ、立ち上がれ!」くらい
アツい曲になっていそうなもんでしょうが、まあ、そうにはなってない。
じゃあ同じメロディが繰り返されるはずの2番ではどうなって
いるんでしょうねと見てみると、ちょっと様相が違う。
どれみみみみー あいするひとのー
みれーどしー みらー(ぃ)などー
みーみみみみみみ とーいめのままい
ふぁみれどー わないでー
と、緩急がついて棒読みでなくなっている。
また、この部分はこの曲の中で唯一語りかける相手に禁止を求めている。
「兄さんそこちがうよ」という部分には後述の「だけど」で反する事実を
淡々と語るか、あるいは「いられるとおもう?」と質問形式にして
はて本当にそうなのかなと一旦考えさせるようにして軌道修正を促す、
いわば
「選択肢や可能性を与えるけど強制はしない」
やり方であるのに対し、そこだけは
「言わないで」
と、明確にやめろやと遮っている。
温厚なキャラがめずらしく1コマだけ笑顔のまま怒りマークつけてるような情景。
・飛魚のアーチ、そして宝島
飛魚が見られるロケーションとして有名なのが鹿児島から奄美へ
向かう途中の海。
その海を過ぎると見えてくるのがトカラ列島。
トカラにはそのものずばり、宝島という島が存在する。
ひょっとしたらこのあたりをモチーフにして詞の世界を膨らませたのでは。
・「嵐と戦う」のではない。「嵐の"中で"戦う」
嵐"と"戦う、と思っている人もちらほらいらっしゃるようだけど、
嵐と戦うのなら、戦う相手は嵐だ、大自然の猛威。
どっこい嵐の"中で"とあるのだから、なにかしらまた別の存在と戦っている。
ところで。
ここでは「嵐」と「突風」という、似た意味の言葉が存在する。
これらがともに立ちふさがる存在、同じものを指す言葉として
使われているならば、無駄なくりかえしになってしまう。
「嵐の中で戦って、嵐の中生き延びて」
これは変だ。この読み方では後者の言葉が死んでしまう。
ということは、これらの言葉は対になっているはずで
これらを「立ちふさがるもの」「挑んでいくもの」の二者に
対立させるとこの矛盾は解消する。
では本来はどんな言葉だったかというと、
「嵐の中で戦う」
「突風の中から生き延びる」
ということになるんじゃないかしら。
このことから、死を覚悟して嵐に切り込んでいき、その先にある敵を
討ちにいく突風という構図ができあがり、さらに、この突風というのは
単独でなく複数の突風たち(集合体)であることが浮き出てくる。
・嵐 : 強大で襲いかかる手を止めない存在、鉄壁のディフェンス
・突風: いわばその場限りの、単発的なオフェンス(の群れ)
このあまりにもの力量の差。
・癒すのは「疲れた羽根」
港町にたどり着いたからといって、船でやってきたとは限らない。
羽根を休ませるのだから、はばたき続けたのでしょうきっと。
どうにかしてお空を飛んだのでしょう。
長い間下りられる場所もなくただひたすら飛び続け、果てにやっと
"空へと通ずる港"を見つけたのかもしれない。
(ここで少しJALをからめてるみたいな)
ひょっとしたら。
自ら飛べるようになったのでしょう、人という存在なのに。
だとすれば、空だけでなく海で戦った男たちも
その島へたどり着いたと考えていいかもしれない。近いし。
・「宝島」にたどり着いた男
スケベェなみんなが大好きな、そこしか聞いてもらえてない
フレーズ「お姫様がパッコン」な状態になるなら、別にこの男は
宝島にたどり着かなくたっていい。
新島でも伊江島でもかまわない。いっそ前島や西洲でもいい。
たどり着いた先が「宝島」である必要があるから、
詞の中にそう書いたのではないか。
当たり前の世界とは違う場所である必要があったのではないか。
そもそも、「宝島」って普通喜び勇んで、わざわざ目指してやってくる
場所であるのに、どうもこの男はそういうフシがない。
遠い目をして愛する人のことを語っている。
そんなに心配だったら「住み着く」ことなく帰ればいいのに、
何らかの理由あってか帰ることができない様子。
事実、ここに住み着く人"も"いる程度で、言葉を素直に受け止めれば
多くの来訪者は住み着かないということが伺える。
でもこの男は住み着くことを決意している様子もなければ
帰ることもしていない。
また、この島から新たな場所へと去ることもしていない。
現状、羽根を癒すことくらいしかできない。
また、来ようと思って来たわけじゃなかったということになれば、
嵐に巻き込まれるなどして大変な思いをしてやってきたという経緯は
自分の意思でなく、抗えない強大な存在に翻弄された結果でしか
ないことになる。
つまり、この男にとってこの「宝島」というのはついた時点で
通常想像される楽しい場所でも、魅力ある宝のある場所でもない。
・「愛する人の未来」であって「愛する人"との"未来」ではない
愛する人を案じているのであって、愛する人のそばに自分がいる
未来を語っているわけではない。
愛する人がこの先幸せでいられるか、"この自分なしで"
生きてゆけるかを案じている。
気持ちの問題、お金の問題、生活環境・社会状況の問題、いろいろ
ひっくるめて「ここにいない、残される形となった愛する人」が
この先どうなっちゃうのかを案じている。
真っ赤なバラと白いパンジーが植わってる小さな家で
自分の横に愛する人がレース編んでるような未来なんかじゃ、決してない。
・「固い誓い交わしたのね そんなの知ってるわ」
取るに足らない、織り込み済みの事象。
これが推測でない確信、もはや知識・記憶だとしたら
この歌い手はいったい何者であるか。
「カンのいい女」とかいうレベルじゃ決してない。
男と愛する人の出会いから抗えない別れまで、
教えてもいないことまでひととおり語り上げたところで
「だけどあなたは、信じて島を出たのね」
と女が区切りをつける。
ここでそういうわけなんだよ「ね」と、聞いてばかりだった態度を
同じ「ね」というたった一文字で翻す。
ひと通り男のことを語り終えたら今度は誰のことを話すか。
そりゃもう決まってる。
遠い場所にいいる、男のパートナーの今をお伝えすることになる。
・だけど、そうよ、きっと。
1番と2番におけるサビ入り部分のフレーズは「だけど」。
男の考えを否定している。
戦場から生きて帰り、さらにはこの戦にもこの国は勝つという強い信念は
そう簡単に潰えるものでない、まだ何も失ってやいないと男は思っているし、
お姫様は他の誰にも抱かれまいと男は考えている。
「だけど」、それは誤りであると女は言う。
人は強いと男は思っている。
だけど、弱いものよと女は言う。
かの愛する人は弱く、守ってやらねばと男は思っている。
だけど、強いものよと女は言う。
そしてひとつめのリフレインで「だけど」は「そうよ」に変わる。
男の考えを肯定している。
続く言葉が同じであるのに、否定から肯定に変化している。
これはつまり、男の側の考えに変化があったことが伺える。
「そうよ、そうそう」の、「そうよ」。
人はこうも弱いものか、何かを、いや、何もかもを失うこととは
こんなに容易いことなのか男は悟り始める。
そうよと女は言う。
最後のリフレインでは「だけど」が「きっと」になっている。
「そんなの知ってるわ」と言いのけたのに比べてあいまいなものに
変化している。
もしかしたら、腰なんたらは「方便」で、案外ほんとにみんな
楽しく踊って暮らしてる時代を生きているのかもしれない。
ともあれこの、続く言葉をキープしたままサビ前の三文字だけを変化させるだけで
心情変化を表現し、ストーリーの流れをつくるあたりこのCoccoという人はよほど
キレッキレなように見える。
だからしてフラーフージーしてるのはむしろフラーフーナーであっていわゆる広義の
「キャラ付け」に過ぎず、腰振り云々というのもわざとミスリードしてエロ解釈する
聴衆を見てどっかでほくそ笑んでいるのではないかとさえ個人的には勘ぐっている次第。
もし仮にこの詞を書いたのが「Cocco」でないなら、歌詞カードの表示通り「こっこ」を名乗る
まったく別の他人と思うし、いいえ本人ですキャラ付けもありませんという話なら
乖離したパーソナリティかなにかくらいの勢いでないとこいつは到底無理と考える。
しまいにゃ乖離なんかもしてませんよとなればもうあれだ、アルジャーノンだ。
あとは石丸元章の言うところのシャブの神様によるものしか可能性はない。
・宝島が見えるころ、宝島についた頃。
とりあえずこの男・この島が「この世」のものでないことははっきりした。
この世でないから一方通行。もう後戻りはできぬ。
住み着くか先へ進むしかない。
さてではいつごろこの宝島が見えたか、いつごろ宝島についたか。
たとえば仏さんの世界では四十九日をもって成仏するとある。
宗派によって微妙に異なるだろうけど、四十九日間いわゆる「霊」という
かたちでこの世にとどまり、その後あの世で「仏」となるという流れは
たぶんみんなおなじ。
こまかいとこすっ飛ばすとこう。
・肉体を失い霊になる。
空だって飛べる。飛魚のアーチなんてすいすい。
あてもなく飛ぶわけじゃなく、目指す先が見えている。
つまり、死の時点が「宝島が見えるころ」。
言い換えると、宝島に近づいてゆき、その近くまできたから
宝島の存在が見えるようになったのではなく、生きている人間には
決して見ることができない存在が見えるようになったころ。
その島目指して飛んでいく。
・四十九日の旅を終え、仏と成る。
目指していた場所(「宝島」)にたどりつく。ゴール。
さて。
ゴールにつきましたよと。
そこで終わりですかってーと、そうでない。
人間、輪廻というのがある。
次の人生(後生)という旅へまた出なくちゃいけない。
そうするってーと、この、とことん慰めてくれる神様は
この人生(今生)で思い残したことを取り払う手伝いをし、
後生への準備を促してくれる存在であることになる。
そういうわけで。
神様の視点から人間ら(男と女)を見つめているわけだから
「強く儚い者たち」
と、人間という存在を悪意の無い上から目線で見た上で
どこか達観した物言いで表現している。
なので、Coccoという一介の人間から見た人の営みについて
「人間は所詮こんなもんなんだ」と断じたり評価したりしている
わけではない。
しかしそもそも神様はすべてをありのまま包容する存在である以上、
評価やカテゴライズをすることはない。よって言葉にすることもない。
まとめると、このタイトルと歌詞は
神の視点を借りたCoccoという人間が、人間の言葉で人間を表した
ものと読み解くことができる。
また、この視点を通してもう一度人間世界を俯瞰すると
肉体そして個々の存在そのものが「弱く」「儚い」一方で、
「強い」力をもって他の人間を押しつぶさんとする、争いという
人間の業もまた人間の弱さのあらわれであり、儚げである。
神の前では旗の色も肌の色も瞳の色もみな、何の意味も違いも
ないというのに。
皮肉な見方をするならば、戦争で逝った御霊のことを忘れ去ることは
振り向かない強さであるも、悲惨な出来事があったという事実もまた
同様に人々の記憶から消し去ろうとする力も働く。
なぜ戦争に至ったか、戦争がなにをもたらしたか、人の命が、存在が
束になってなんぼという価値であったということを忘れるとまた繰り返す。
人というのは儚いものだから。
・【儚い】
ってのはこんな意味があるんですって。
儚いとは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/儚い
①消えてなくなりやすい。もろくて長続きしない。
②不確かであてにならない。実現の可能性が乏しい。
③何のかいもない。無益だ。
④大したものでない。取り立てるほどのものでない。
⑤思慮・分別が十分でない。愚かだ。
⑥みすぼらしい。卑しい。
・人は弱い。人は強い。人は儚い。
「愛は儚い」とは言ってない。一言も言ってない。
愛が儚いならこの歌のタイトルは「強く儚い愛たち」であるべきだろうよ。
だのに
「愛は儚いんですね!この歌せつないです!><;」
とかいう解釈たくさん。なんじゃそら。
弱いのも強いのも儚いのもみんな人。
その人の存在の儚さと、その人への愛の儚さ(?)は
同じ次元で語れるものではないはず。
・・・であるからに、
男女の仲がどうとか浮気とか裏切りとかNTRがコモエスタで
遠距離恋愛がどうたらいう解釈はどこか短絡的で、言葉の取りこぼしが
起きてやしまいかと思ってしまう。
概念の中に、冒頭にある「命の危険」がまったくないんだもん。
また、強い弱い言っているのは人の気持ちだの愛だのではなく
人という存在そのものについて表現しているものだから、
スケベ心からお姫様のくだりに注目しすぎると物語世界を
見失ってしまう。
(追記)
ナニナニの物語をなぞっているみたいな解釈もいろいろあるけど
強いて挙げるなら坂口安吾の堕落論じゃないかしらねこれ。
検索してみると同じ解釈の方もいるようで。
強く儚い者たち: 普通サラリーマンの散財日記
http://www.3zai-businessperson.com/article/437302488.html
Coccoの「強く儚い者たち」を聞くと、どうしても坂口安吾の『堕落論』を連想する人って、結構多いのではないか。
— あままこ (@amamako) 2019年8月12日
先日、花見で下北の代沢小の近くで飲んでた時、安吾が代沢小に勤務してたの知って、久々に堕落論読んでみた。日本文化私観が結構きた。堕落論はCoccoの強く儚いもの思い出した。
— NDB(Nu-skool Dirty Bastard) (@rrrragos) 2010年4月18日
(追記ここまで)
つまり。
愛別離(苦)は気持ちや距離だけの別れを指すんじゃないし、
仏さんの本だけでなく「塩狩峠」にだって登場しているフレーズ、
「生者必滅、会者定離」にあるとおり、どうしても避けられない
死による別離もあるんじゃないのさという考え。
はてさて、身体の透けた男たちの出てくるPVの意味するところは。
(以下ただの妄想)
・神の視点とCocco
あるがままを受け入れる際、そこにあるのは「無」だ。
カテゴライズも評価もない。
Coccoはイメージの中で神の視点を得た。
しかし神の認識は得られなかった。
だからCoccoという人間は、人間の認識を以て感じ取った。
人間について人間の言葉を以て表現した。
そのため、受け入れる対象について「無」でなく
「強く儚い者たち」という、極端な言い方をすれば
レッテル貼りをすることとなった。
人が身勝手を通す
人が人を騙す
人が人を殺す
人が生き物を殺す
・・・
などなど、
「当たり前が当たり前でない世の中」
"such a wonderful world"
であることに苦しみ、それを吐き出す作業を続ける。
それはもう、本人がゲロのようと呼ぶほどに。
音楽のジャンルはともかく、このスピリットはロックンロールだ。
だからそれが共感を集める。でもそれは根本的な救いにはならない。
善いおこないも悪いおこないもこの世では「報われ」ないからだ。
宗教ならここで「だからこそ祈れや」っていう流れなんだろうけど、
そんなもんで解決するわけねーだろというのが一般的な日本人。
個人的には祈りはアリだと思うんだけど、日本人てどこかしら
オールオアナッシングの気質があるもんだから「祈りありき」に
なったり、果ては
それって「神頼み」じゃねえか
と、そこまで言ってねえのになんで怒られなきゃいけないんだい
てな感じになる。
じゃあそれってなんだねってーと
できることは自分がやって、できない部分について祈る
という、オールオアナッシングでない、本来の意味での他力本願、
人間でも偶然でも神様でも仏様でもなんでもいいから、とにかく自分の
限界を超える部分について第三者のユイマールを求めるという考え。
そういうわけでウチナーンチュは
ウートートー
と手を合わせる。
なぜならみんながいて世界がまわるから。
先祖がいて自分がいる。島の自然が人間をはぐくんできた。
そしてこれからも自分たちは島の恩寵のもとにあり、それにより
自分たちの子孫がこの地に生き続けることができる。
そんな母なる島を造ったのは神だ。だからすべてが尊い。
そういうわけだから、これら天・地・人の調和を無視した
人間だけが世界回してるなどというくそったれな価値観
をCoccoは全否定している。
自然(≒沖縄)の気持ちを汲んでいる。
目に見えるものを超越した存在があることはわかってる。
しかし彼女はのこるカミサマについては中指立ててらっしゃる。
いうなれば、黒線香(ひらうこう)の3本セット(天・地・人)のうち、
ひとつがかけている。三位一体が成立していない。
吉田拓郎式に言えば
そ~らに~まかしたんよ~
ということができずにいる。
この世で救われてないから。この世では誰も救われないから。
神様なんていいひとを殺す一方で悪いやつに罰を下すこともないから。
信じるに値しないから。
いつか、この世界が変わる/変わらない・変えられる/変えられない・
救われる/救われないなどなど認識諸共すっ飛ばして
「思い通りにならない世の中、自分さえ思い通りにならないこの現実」
"what a wonderful world"
であることをどこまでもどこまでも受け容れ、その中で
あまりに非力な自分に何ができるか、どこまでならできるか
というところまでゆければいいのだけど、それは諦めという、
この世界を拒絶する感覚と似て非なるものだからなかなか難しい。
人間みんなにとって。
だけども、この世界のあるがままを受け入れられないまま
自分の小ささ、無力さを知った上で
あまりに非力な自分に何ができるか、いったい何になるのか
ということを考えるから苦しみしか無い。救いがない。
マザー・テレサがさらりと言ってのける「愛は寛容である」
というのは、別に人だのなんだのに限ったことでなく
そのでっかくもないくそったれな愛(=慈悲)でもって
この世の中全部愛して(=受容・許容)みせろやボケ
というのが最終目的地。
ま、つらつら書いたもののすべて仮説俺メモである以上、
絶対これが正しいって言う気はないもんですから
どうでもいい人も入れ込んじゃってる人もどっちでもない人も
「だけど」しか耳に入ってなかったお嬢ちゃんもみんな各々が
お好きなように納得出来ればい~の~にね~えー
よくよく聴くと大野克夫だけあってコナンぽいね。
***
2017/04/13追記
夜勤明けの帰り道、カーラジオをつけたらNHKラジオ「すっぴん」に出てた。
デビュー20周年記念での出演の様子。(途中からしか聞いてない)
ウチナー訛りを全面に出して終始和やかな雰囲気でトークが進み
最後、今後30周年に向けて精進されることでしょうねみたいな場面で
「ハイ、粛々と進めてマイリマス」
ここでトーク終了。
その瞬間スーッと背筋が凍る思いをしたがtwitterでは誰も話題にしない。
おい、自称ファンらどうした、ここは恐ろしい場面だ。
全国放送の最後、彼女はすべてを壊して帰っていった。
気づけ。俺はファンと呼べるほどじゃない。お前らこそが気づけ。
でもおそらく当の本人は気づかれないことも承知済みだ。
むしろそれをどこか哀しむように楽しんでいるかもしれない。
皮肉と受け止められない人には皮肉が通じないという皮肉。
捨て台詞のように吐いたその最後の言葉に、
やはりこの人とんでもないと改めて感じた。
胸のうちにあるのは怒りなのか悲しみなのかそれともいったんそれらも
包容しているのかいないのか、そこまではいまだわからない。
別にそこまで知ろうとは思わない。ファンじゃないから。
各種RAMDISK速度比較 2010june
最速求めて2世代前のDDR-400メモリでがんばってみるテスト。
値はFAT32のもの。
■BUFFALO RAMDISK ユーティリティー Ver.3.0.0.0
http://buffalo.jp/download/driver/memory/ramdisk.html
Good
・速い!
・日本語
・小難しいことすっとばして「かんたん設定」
・チェック入れるだけでFirefox/IEのキャッシュフォルダ設定可能
・OS終了時にディスク内容を保存、起動時に復旧できる
Bad
・好きなファイルシステムでフォーマットできない。
(256MB程度:FAT、512MB:FAT32で決め打ち固定)
・ディスク容量を変更したりする度、要再起動。
■Gavotte RAMDisk
http://www10.atwiki.jp/gavotterd/
(どこの誰が作ってるか不明なので割愛)
■VSuite Ramdisk (Free Edition) 1.18.1531.1240
http://www.romexsoftware.com/main/products/ramdisk-translations.html
■Dataram RAMDisk 3.5.130
http://memory.dataram.com/products-and-services/software/ramdisk
※遅い上、ユーティリティ上でドライブレターを指定できない。
【まとめ】
バッファローが4K Readでダブルスコアつけるなどして圧勝。
ちなみにVSuite・dataram使用時にFATやNTFSで計測してみたものの
FAT32のものと値はあまり変わらなかった。
(DataramのFATで多少スコアの落ち込みが見られた程度)
値はFAT32のもの。
■BUFFALO RAMDISK ユーティリティー Ver.3.0.0.0
http://buffalo.jp/download/driver/memory/ramdisk.html
Good
・速い!
・日本語
・小難しいことすっとばして「かんたん設定」
・チェック入れるだけでFirefox/IEのキャッシュフォルダ設定可能
・OS終了時にディスク内容を保存、起動時に復旧できる
Bad
・好きなファイルシステムでフォーマットできない。
(256MB程度:FAT、512MB:FAT32で決め打ち固定)
・ディスク容量を変更したりする度、要再起動。
■Gavotte RAMDisk
http://www10.atwiki.jp/gavotterd/
(どこの誰が作ってるか不明なので割愛)
■VSuite Ramdisk (Free Edition) 1.18.1531.1240
http://www.romexsoftware.com/main/products/ramdisk-translations.html
■Dataram RAMDisk 3.5.130
http://memory.dataram.com/products-and-services/software/ramdisk
※遅い上、ユーティリティ上でドライブレターを指定できない。
【まとめ】
バッファローが4K Readでダブルスコアつけるなどして圧勝。
ちなみにVSuite・dataram使用時にFATやNTFSで計測してみたものの
FAT32のものと値はあまり変わらなかった。
(DataramのFATで多少スコアの落ち込みが見られた程度)
2010年6月9日水曜日
軽いフリーのアンチウイルス比較 2010Sep
2015年版はこちら。
軽いフリーのアンチウイルス比較 2015年春
http://mu-san.blogspot.com/2015/02/2015.html
***
ベンチマークでフリー製品もろもろを比較。
動作環境:
WindowsXP SP3(VM環境) / mem1GB(ページファイル無効)
測定方法:
約6000ファイル格納RARファイルを展開するのに要した時間
あわせてアイドル時メモリ使用量(コミットチャージ)も付記。
以下タイム順
■アンチウイルスなし
コミットチャージ:133MB
タイム: 1:23
■AVG Anti-Virus Free Edition 2011 10.0.1120
コミットチャージ:269MB
タイム: 1:34
(参考:前Ver. 9.0.829)
コミットチャージ:250MB
タイム: 1:32
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★ 2010aug 以下製品版のもの)
リンクスキャナ・メールスキャナ等の追加コンポーネントは
インストールせず。
モノ自体は前Verとほぼ同じ様子。
■Avira AntiVir Personal 9.0.0.22
コミットチャージ:221MB
タイム: 1:37
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★★ 2010aug)
検索エンジンVer:8.02.02.06
軽さ・検出力に定評。Ver10も中身ほぼ同じ感じ。
(追記)
先日からどうもOSがクラッシュするなと思っていたら
メモリーリークする不具合発生中。11/20現在まだ改善せず。
もう2週間近いぞ・・・。
(さらに追記)
12/9ようやく英語版で修正パッチリリース。
■Panda Cloud Antivirus 1.3.0
コミットチャージ:187MB
タイム: 1:41
(参考:01.01.00.0000)
コミットチャージ:191MB / 183MB (ver1.1.2)
タイム: 2:37 / 3:12
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★ 2010aug)
ver1.1.2までスキャン開始時に数十秒(その時々による、うちでは30~70秒)の間
無応答になる仕様であったが、1.3でやっと改善された。
スキャン速度もよく、トータルでの検出率もなかなかのもの。
■Rising Antivirus Free Edition 2010 22.52.00.00
コミットチャージ:269MB
タイム: 1:41
[メモ]
メールスキャンはインストール時に無効設定。
ウイルスキラーでおなじみ。
アジア系マルウェアに強そうも性能は未知数。
(昨年のGENOウイルス騒動のときはK7・Kingsoftと並んでザル)
動作は軽快。ただし日本語は文字化け。
バージョン表記が統一されてない。(22.52.00.00 と 22.00.04.12)
現時点でおすすめはしない。
■avast! Free Antivirus 5.0.545
コミットチャージ:155MB
タイム: 1:45
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★★ 2010aug)
インストール項目:ファイル/ウェブ/ネットワーク/挙動監視シールド
サイズの大きなファイルを選択するとき、しばし沈黙することも。
(ネットワークドライブ上のファイルをいじる場面では殊に)
おそらく、いちいち対象ファイルを精査してくれているの
だろうけど、もうちょっとどうにかならないかなと思う。
一方で、最近負けが込んでいた検出率について、2010augのAV-Comparativesで
AVGを上回る成績。
■[商用可]FortiClient Endpoint Security
(アンチウイルスVer 4.143)
コミットチャージ:195MB
タイム: 1:45
[メモ]
インストール項目:アンチウイルス・ファイアウォール
性能は未知数も、Fortinetのネームバリューは強し。
サイトの比較表ではフリー版にもアンチスパムがあると書いてるけど、インストーラでは
プレミアム用しかもOutlook/OE専用とある謎。
■[商用可]KINGSOFT AntiVirus 2011
コミットチャージ:211MB
タイム: 1:47
(参考:前Ver. 2010.05.04.14)
コミットチャージ:185MB
タイム: 1:31
[メモ]
(AV-Comparatives評価:星なし 2010aug)
2009・2010と「ぶっちぎりで速いけど検出力は最低限」路線を
突っ走ってたキングソフト。さすがに息切れか。
■PC Tools Spyware Doctor with Anti-Virus 7.0.0.545
コミットチャージ:293MB
タイム: 1:49
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★★ 2010aug)
googleパックで提供されている機能制限版スターターエディション。
日本語インターフェース上では「アンチウイルスの付いたSpyware Doctor」と
えれえ長い名称になっている。
ほんでもって軽い。
AntiVirus(後出)にスパイウェア対策がついただけと思いきや
まるで別物。
おそらくこっちで有効になっていない保護機能のうち何かがえらい
重い原因になっているのだろう。
(追記)
2010年10月、googleパックに含まれるアンチウイルスソフトウェアは
avast!に変更。
■ClamAV for Windows 32bit 2.0.14.139
コミットチャージ:145MB
タイム: 1:59
(参考:前Ver. 1.0.26)
コミットチャージ:144MB
タイム: 2:15
[メモ]
モノ自体がImmunet+無名(?)アンチウイルスなので、個人的には
別の強力なアンチウイルスとImmunetを組み合わせたほうが
いいんじゃないかと思う。
■Microsoft Security Essentials 2.0.375.0
コミットチャージ:290MB
タイム: 2:12
(参考:前Ver. 1.0.1961.0)
コミットチャージ:306MB
タイム: 2:15
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★ 2010aug ver1.xのもの)
動作フィーリング自体は特に問題なし。
「無料アンチウイルスに乗り換えたいけど、サードパーティは不安」
というユーザーに向いてる。
新版ベータは現状スピード面でほぼ変化なし。
※追記:10台までの商用利用可能になる見通し。(ソースはここ)
*** 以下問題あり ***
■Ad-Aware Free 8.3.0
コミットチャージ:240MB
タイム: 1:20
[メモ]
異様に速い。実行ファイル以外スルーしているのでは。
圧縮ファイルの検査不可。
一方でこっちと同じ条件下でフォルダへのオンデマンドスキャンした
結果は異様に遅く、3:30かかった。
また、フリー版ではふるまい検出に非対応。
アンチスパイとしては定評あるも、アンチウイルスとしてはハテナ。
■[商用可]COMODO Internet Security Premium 5.0.162636.1135
・アンチウイルス + FW インストール
・IMEパッド増殖対策にgoogle日本語入力インストール
コミットチャージ:276MB
タイム: 2:39
(参考:前Ver. 4.1.150349.920, MS-IME)
コミットチャージ:259MB
タイム: 2:43
[メモ]
※現時点でVer5は日本語未対応
インストーラ・アップデートサイズが莫大。誤検出もあった。
ちなみに通知領域にあるアイコンからExitしても常駐は解除されない
ので、それを望むならメニューから機能をDisableする必要あり。
あと、インストール時にWindowsDefenderやWindowsファイアウォールの
常駐を解いてくれないのでインスト後要チェック。
■PC Tools AntiVirus Free 8.0.0.602
コミットチャージ:338MB
タイム: 2:56
(参考:前Ver. 7.0.0.545)
コミットチャージ:292MB
タイム: 2:11
[メモ]
前Verに比べて動作レスポンスはわずかに改善。
一方でメモリ消費量・展開速度は悪化。
【検出力を加味してまとめ】
個人ユースでアンチウイルスのみならAntiVir一択。
AntiVirの「広告」が邪魔に感じるならavast!。
とにかく初心者な人はまずMicrosoftで使い方を覚えるのが吉。
統合セキュリティ環境が必要ならFortiClient。ビジネスユースもこれ。
独断と偏見のランキング
1.Avira AntiVir Personal
2.avast! Free Antivirus
3.Microsoft Security Essentials [商用可(制限あり)]
4.FortiClient Endpoint Security [商用可]
5.AVG Anti-Virus Free Edition
6.Panda Cloud Antivirus
軽さ・検出率でAntiVir首位。
メモリ少なめで★★★評価のavast!は次点。
検出力と初心者向けであること、商用可の3つからMSEが3位。
ネームバリュー・FW・商用可の3本立てにより、Fortiが4番手。
速さはあるもスクリプト系が若干苦手なAVGは5位。
1.3でやっと落ち着いてきたも、誤検知がやたら多い一方で
スクリプト系に弱点(50%台)のあるPandaはギリランクイン。
ランク外
Ad-Aware
ClamAV
COMODO Internet Security Premium
KINGSOFT AntiVirus 2011
PC Tools AntiVirus Free
PC Tools Spyware Doctor with Anti-Virus
Rising Antivirus Free Edition 2010
***
常駐&リアルタイム保護のないものはここでの比較対象に入れてない。
・a-squared Free
・BitDefender
・Malwarebytes
・Immunet Protect(gred Anti Virus アクセラレータ)※
※他のアンチウイルスと組み合わせるor上位版の利用を
推奨しているため別枠行き
について比較した結果はこっち。
***
10/07/15
kingsoft2011、fortiマイナーアップデート版、Ad-Aware追記
10/07/24
MSEベータ版追記
10/08/26
Clam 2.0 追記
10/09/01
・PC Tools AntiVirus Free 8 追記
・PC Tools(googleパック版)マイナー新版差し替え
・ランクを新版順に並び替え
10/09/18
・COMODO新版追加
10/09/29
・AVG新版追加
10/10/31
・MSE商用可化によりランク表修正
10/11/12
・AV-Comparatives評価変動&Panda1.3公開を受けて追記&ランク表修正
軽いフリーのアンチウイルス比較 2015年春
http://mu-san.blogspot.com/2015/02/2015.html
***
ベンチマークでフリー製品もろもろを比較。
動作環境:
WindowsXP SP3(VM環境) / mem1GB(ページファイル無効)
測定方法:
約6000ファイル格納RARファイルを展開するのに要した時間
あわせてアイドル時メモリ使用量(コミットチャージ)も付記。
以下タイム順
■アンチウイルスなし
コミットチャージ:133MB
タイム: 1:23
■AVG Anti-Virus Free Edition 2011 10.0.1120
コミットチャージ:269MB
タイム: 1:34
(参考:前Ver. 9.0.829)
コミットチャージ:250MB
タイム: 1:32
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★ 2010aug 以下製品版のもの)
リンクスキャナ・メールスキャナ等の追加コンポーネントは
インストールせず。
モノ自体は前Verとほぼ同じ様子。
■Avira AntiVir Personal 9.0.0.22
コミットチャージ:221MB
タイム: 1:37
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★★ 2010aug)
検索エンジンVer:8.02.02.06
軽さ・検出力に定評。Ver10も中身ほぼ同じ感じ。
(追記)
先日からどうもOSがクラッシュするなと思っていたら
メモリーリークする不具合発生中。11/20現在まだ改善せず。
もう2週間近いぞ・・・。
(さらに追記)
12/9ようやく英語版で修正パッチリリース。
■Panda Cloud Antivirus 1.3.0
コミットチャージ:187MB
タイム: 1:41
(参考:01.01.00.0000)
コミットチャージ:191MB / 183MB (ver1.1.2)
タイム: 2:37 / 3:12
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★ 2010aug)
ver1.1.2までスキャン開始時に数十秒(その時々による、うちでは30~70秒)の間
無応答になる仕様であったが、1.3でやっと改善された。
スキャン速度もよく、トータルでの検出率もなかなかのもの。
■Rising Antivirus Free Edition 2010 22.52.00.00
コミットチャージ:269MB
タイム: 1:41
[メモ]
メールスキャンはインストール時に無効設定。
ウイルスキラーでおなじみ。
アジア系マルウェアに強そうも性能は未知数。
(昨年のGENOウイルス騒動のときはK7・Kingsoftと並んでザル)
動作は軽快。ただし日本語は文字化け。
バージョン表記が統一されてない。(22.52.00.00 と 22.00.04.12)
現時点でおすすめはしない。
■avast! Free Antivirus 5.0.545
コミットチャージ:155MB
タイム: 1:45
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★★ 2010aug)
インストール項目:ファイル/ウェブ/ネットワーク/挙動監視シールド
サイズの大きなファイルを選択するとき、しばし沈黙することも。
(ネットワークドライブ上のファイルをいじる場面では殊に)
おそらく、いちいち対象ファイルを精査してくれているの
だろうけど、もうちょっとどうにかならないかなと思う。
一方で、最近負けが込んでいた検出率について、2010augのAV-Comparativesで
AVGを上回る成績。
■[商用可]FortiClient Endpoint Security
(アンチウイルスVer 4.143)
コミットチャージ:195MB
タイム: 1:45
[メモ]
インストール項目:アンチウイルス・ファイアウォール
性能は未知数も、Fortinetのネームバリューは強し。
サイトの比較表ではフリー版にもアンチスパムがあると書いてるけど、インストーラでは
プレミアム用しかもOutlook/OE専用とある謎。
■[商用可]KINGSOFT AntiVirus 2011
コミットチャージ:211MB
タイム: 1:47
(参考:前Ver. 2010.05.04.14)
コミットチャージ:185MB
タイム: 1:31
[メモ]
(AV-Comparatives評価:星なし 2010aug)
2009・2010と「ぶっちぎりで速いけど検出力は最低限」路線を
突っ走ってたキングソフト。さすがに息切れか。
■PC Tools Spyware Doctor with Anti-Virus 7.0.0.545
コミットチャージ:293MB
タイム: 1:49
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★★ 2010aug)
googleパックで提供されている機能制限版スターターエディション。
日本語インターフェース上では「アンチウイルスの付いたSpyware Doctor」と
えれえ長い名称になっている。
ほんでもって軽い。
AntiVirus(後出)にスパイウェア対策がついただけと思いきや
まるで別物。
おそらくこっちで有効になっていない保護機能のうち何かがえらい
重い原因になっているのだろう。
(追記)
2010年10月、googleパックに含まれるアンチウイルスソフトウェアは
avast!に変更。
■ClamAV for Windows 32bit 2.0.14.139
コミットチャージ:145MB
タイム: 1:59
(参考:前Ver. 1.0.26)
コミットチャージ:144MB
タイム: 2:15
[メモ]
モノ自体がImmunet+無名(?)アンチウイルスなので、個人的には
別の強力なアンチウイルスとImmunetを組み合わせたほうが
いいんじゃないかと思う。
■Microsoft Security Essentials 2.0.375.0
コミットチャージ:290MB
タイム: 2:12
(参考:前Ver. 1.0.1961.0)
コミットチャージ:306MB
タイム: 2:15
[メモ]
(AV-Comparatives評価:★★ 2010aug ver1.xのもの)
動作フィーリング自体は特に問題なし。
「無料アンチウイルスに乗り換えたいけど、サードパーティは不安」
というユーザーに向いてる。
新版ベータは現状スピード面でほぼ変化なし。
※追記:10台までの商用利用可能になる見通し。(ソースはここ)
*** 以下問題あり ***
■Ad-Aware Free 8.3.0
コミットチャージ:240MB
タイム: 1:20
[メモ]
異様に速い。実行ファイル以外スルーしているのでは。
圧縮ファイルの検査不可。
一方でこっちと同じ条件下でフォルダへのオンデマンドスキャンした
結果は異様に遅く、3:30かかった。
また、フリー版ではふるまい検出に非対応。
アンチスパイとしては定評あるも、アンチウイルスとしてはハテナ。
■[商用可]COMODO Internet Security Premium 5.0.162636.1135
・アンチウイルス + FW インストール
・IMEパッド増殖対策にgoogle日本語入力インストール
コミットチャージ:276MB
タイム: 2:39
(参考:前Ver. 4.1.150349.920, MS-IME)
コミットチャージ:259MB
タイム: 2:43
[メモ]
※現時点でVer5は日本語未対応
インストーラ・アップデートサイズが莫大。誤検出もあった。
ちなみに通知領域にあるアイコンからExitしても常駐は解除されない
ので、それを望むならメニューから機能をDisableする必要あり。
あと、インストール時にWindowsDefenderやWindowsファイアウォールの
常駐を解いてくれないのでインスト後要チェック。
■PC Tools AntiVirus Free 8.0.0.602
コミットチャージ:338MB
タイム: 2:56
(参考:前Ver. 7.0.0.545)
コミットチャージ:292MB
タイム: 2:11
[メモ]
前Verに比べて動作レスポンスはわずかに改善。
一方でメモリ消費量・展開速度は悪化。
【検出力を加味してまとめ】
個人ユースでアンチウイルスのみならAntiVir一択。
AntiVirの「広告」が邪魔に感じるならavast!。
とにかく初心者な人はまずMicrosoftで使い方を覚えるのが吉。
統合セキュリティ環境が必要ならFortiClient。ビジネスユースもこれ。
独断と偏見のランキング
1.Avira AntiVir Personal
2.avast! Free Antivirus
3.Microsoft Security Essentials [商用可(制限あり)]
4.FortiClient Endpoint Security [商用可]
5.AVG Anti-Virus Free Edition
6.Panda Cloud Antivirus
軽さ・検出率でAntiVir首位。
メモリ少なめで★★★評価のavast!は次点。
検出力と初心者向けであること、商用可の3つからMSEが3位。
ネームバリュー・FW・商用可の3本立てにより、Fortiが4番手。
速さはあるもスクリプト系が若干苦手なAVGは5位。
1.3でやっと落ち着いてきたも、誤検知がやたら多い一方で
スクリプト系に弱点(50%台)のあるPandaはギリランクイン。
ランク外
Ad-Aware
ClamAV
COMODO Internet Security Premium
KINGSOFT AntiVirus 2011
PC Tools AntiVirus Free
PC Tools Spyware Doctor with Anti-Virus
Rising Antivirus Free Edition 2010
***
常駐&リアルタイム保護のないものはここでの比較対象に入れてない。
・a-squared Free
・BitDefender
・Malwarebytes
・Immunet Protect(gred Anti Virus アクセラレータ)※
※他のアンチウイルスと組み合わせるor上位版の利用を
推奨しているため別枠行き
について比較した結果はこっち。
***
10/07/15
kingsoft2011、fortiマイナーアップデート版、Ad-Aware追記
10/07/24
MSEベータ版追記
10/08/26
Clam 2.0 追記
10/09/01
・PC Tools AntiVirus Free 8 追記
・PC Tools(googleパック版)マイナー新版差し替え
・ランクを新版順に並び替え
10/09/18
・COMODO新版追加
10/09/29
・AVG新版追加
10/10/31
・MSE商用可化によりランク表修正
10/11/12
・AV-Comparatives評価変動&Panda1.3公開を受けて追記&ランク表修正
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